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松尾スズキとシアターコクーンが紡いできた挑戦の歴史

「Bunkamura History」では、1989年にBunkamuraが誕生してから現在までの歴史を通じて、Bunkamuraが文化芸術の発展にどんな役割を果たしたか、また様々な公演によってどのような文化を発信したのか振り返ります。15回目となる今回は7/9(火)からTHEATER MILANO-Zaでの『ふくすけ2024-歌舞伎町黙示録-』の上演が迫るシアターコクーン芸術監督・松尾スズキが、シアターコクーン初登場の2000年から現在までの劇場と紡いだ歴史を、演劇ジャーナリストの徳永京子さんに紐解いてもらいました。


●シアターコクーン初演作『キレイ』の衝撃

2000年のシアターコクーンでの『キレイ』上演は、大げさでなく、当時の日本の演劇界にとって事件でした。「松尾スズキがコクーンに初登場」のニュースは衝撃をもって駆け抜けたのです。当時の松尾は、異能の個性派集団と言われた大人計画を率い、たっぷりの毒を盛った笑いで、危険水域ギリギリを攻める作風で知られていた作・演出家。閉じたコミュニティの中で追い詰められていく人々を描き、その果てに人間や集団の本質を鋭く示していたとは言え、スキャンダラスな作風への評判が先に立っていました。かたやシアターコクーンは、その名に“文化”を冠するBunkamuraの中核施設で、東京屈指の高級住宅街である松濤の入口に悠然とたたずむ、外観も内部も高級感ただよう中規模劇場。この二者の出会いを事前にイメージできた人は決して多くなかったはずです。
しかも既存作品の再演ではなく、『キレイ』は書き下ろしの新作。阿部サダヲ、宮藤官九郎ら劇団員を要所に配しながらも、主人公を演じるのは奥菜恵、南果歩という松尾作品に初めて触れる俳優であること。また、『ちょん切りたい』('95年)など過去作品でもオリジナル楽曲をつくるなど早くから音楽に積極的だったとはいえ、松尾初のミュージカル作品となることなども、どちらかといえば不安要素とされていました。
しかし、そうした予想を見事に裏切って公演は大好評を博し、文句なしの成功を収めます。それは松尾の、2階席まである広い空間を埋める強靭な演出力、観る人を選ぶようで多くの人に刺さるストーリーテリング力、各プランナーとの確かな連帯力、興行として成立するに充分な券売力などが広く認められたことを示しました。と同時に『キレイ』は、コクーンにとってもエポックとなったと言えます。地上波のテレビではオンエアが躊躇されるような下ネタやブラックジョーク、つまり、松尾の作風を知らない演劇ファンからは拒否反応が予想される表現を、作品の世界観に欠かせないものとしてそのまま上演する責任を劇場として担ったからです。それによって、つくり手とともにあるコクーンの姿勢が一層強く、多くの人の意識に印象づけられたのです。

●お互いの可能性を広げた松尾とシアターコクーンの“融合と挑戦”

松尾×コクーンの共犯関係のような挑戦はその後も続き、’03年の『ニンゲン御破産』では歌舞伎俳優の十八代目中村勘三郎(当時・五代目中村勘九郎)、’08年の『女教師は二度抱かれた』では大竹しのぶと十代目松本幸四郎(当時・七代目市川染五郎)など、意表を突くキャスティングとひねりの効いた物語で話題をさらいます。こうした路線が確立したのは、華やかさ、メジャー感、ある種の権威と、猥雑さ、マニアックさ、のぞき見感との果敢な融合でした。コクーンでの創作で松尾は、松尾との協働でコクーンは、それぞれの持ち味を手放すことなく確実にキャパシティを広げていきました。
もちろんそこには、1999年から2016年までコクーンの芸術監督を務めた蜷川幸雄の、妥協なく創造を追求するとともに、演劇が持つ影の一面、そして俗の部分を忘れない姿勢と、何より世の中の大半が無条件に是とするものへの反骨精神から来る深い理解と共鳴があったことは間違いありません。
 
そこからさらに一歩踏み込んで松尾とコクーンの相性の良さを考える時、コクーンのオープンが1989年、松尾が大人計画を立ち上げたのが1988年という、わずか1年違いで始まった歴史が目を惹きます。すなわち、それぞれの起点には80年代に起きた空前の小劇場ブームがあるのです。バブルと呼ばれた好景気は悪い面ばかりがあったわけではなく、文化芸術においてはさまざまなジャンルで普及、拡大、深化を後押ししました。具体的には、若い世代が好奇心の赴くままに多くの文化に触れ、マニアックに興味を掘り進め、他ジャンルにも軽やかに触手を伸ばし、つくり手に進めば表現の領域を追求し、観客であればそうした表現が成熟していく過程ごと豊かに享受したのです。大人計画は、爛熟するサブカルチャー、特に笑いを先鋭化した劇団として人気を博し、コクーンは、若い世代の演劇が人材的にも経済的にもかつてない勢いを誇る中で、舞台機構が充実した施設が求められて誕生した劇場でした。いわば80年代小劇場ブームが、ハードとしてはコクーンに、ソフトとしては松尾に分かれて育ったと見ることもできるのです。


●三代目芸術監督へと受け継がれた小劇場の遺伝子

’20年、松尾は三代目シアターコクーン芸術監督となりましたが、就任が発表された’19年のメッセージにこう書いています(一部を抜粋)。
「串田さん、蜷川さん、お二人の仕事ぶりを見るに、『好きなようにやってらっしゃる』としか、私には思えなかったからです。キレイごとを抜きに、おのれの演劇に対する欲望を忠実につらぬき、その結果が評価に結びついたのだと思います。それはきっと、ひとまわりしてむしろ日本のために効いている。私は先輩たちのメンツにかけてそう思いたい。キレイごとを嫌い続けていれば、自然にキレイな表現者になれるのです」
松尾らしさがあふれる一文一文に納得しながらも、コクーンに宿った小劇場の遺伝子が受け継がれていると感じずにいられないのは、’85年に初代芸術監督に就任した串田和美との不思議な重なりです。60年代のアングラ演劇勃興期から活動を始めた串田は、作品の中心に音楽を据えることに貪欲で、劇団員が実際に楽器を演奏するスタイルにこだわりました。そうして『上海バンスキング』など優れた音楽劇を生み出してきましたが、’94年からは「渋谷・コクーン歌舞伎」を立ち上げ、歌舞伎の戯曲を現代演劇の視点から演出し直し、今の時代を生きる人にも心理的に納得できる古典も誕生させました。
松尾が、’21年に「生バンドと豪華キャストによる大人の歌謡祭!」と称して『シブヤデアイマショウ』を、’23年には休館前のグランドフィナーレとして『シブヤデマタアイマショウ』を開催したこと、遡って’05年、’14年、’19年と松尾が『キレイ』をブラッシュアップしていく過程で、劇伴を邦楽メインへと切り替えて三味線や長唄で構成していったことは、あまりによくできたシンクロニシティです。両者に個人的なつながりはないはずで、劇場に刻まれた見えない遺伝子がバトンとなって演出家から演出家に働きかけたと考えるのは、妄想の産物ばかりとは言えないでしょう。
しかも松尾の和物への関心が一時的なものでないのは、前述の『キレイ』についてだけでなく、今年4月に第1期が開講した、これから一緒に舞台をつくっていく若い俳優を育成する「コクーン アクターズ スタジオ」の常任講師の中に、日本舞踊・所作の藤間貴雅、ゲスト講師に狂言師の茂山逸平と能シテ方の友枝雄人を配していることからもよくわかります。さらにこの夏、12年ぶり4度目の上演(コクーンの単独プロデュースとしては初めて)に挑む『ふくすけ2024-歌舞伎町黙示録-』の音楽クレジットが、三味線の山中信人ただひとりという点にも、あるレベル以上の自信とともに表れているでしょう。


かつて松尾は筆者に「邦楽を自作に取り入れるのは、それこそが日本でしか生まれないミュージカルを創作する素晴らしい材料だと思うから」と語ったことがありました。昨今のミュージカルブームの中で、多くのプロデューサーやコンポーザーが「日本発のオリジナルミュージカルをいかにつくるか」を腐心している中で、その大胆な見識が実に理にかなっていることに今になって驚いています。まさに『ふくすけ』にも散りばめられている松尾ワールドのエレメント──先天的な運・不運、後天的な幸・不幸、そして、いつどこから始まったのかわからない人間の業が、閉じた空間の中で絡み合う──を、瞬間的に表現するのにその音色や振動がふさわしいと感じるからです。
芸術監督就任直後にパンデミックに襲われ、思い描いていた活動がなかなかできなかった松尾が、ようやく本格始動するCOCOON PRODUCTION2024『ふくすけ2024-歌舞伎町黙示録-』。既存作ではあるものの、音楽面を含めて“シン・松尾”のスタートを孕んだ舞台になる予感がします。
 

文・徳永京子 

〈公演情報〉
COCOON PRODUCTION 2024
ふくすけ2024-歌舞伎町黙示録-
2024/7/9(火)~8/4(日)
会場:THEATER MILANO-Za

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