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技術だけでなく心も後輩たちに伝える、責任の重さと誇り/床山の仕事

華やかな歌舞伎の舞台が生み出されるまでには、たくさんの凄腕職人たちの力が欠かせません。輝かしい瞬間は彼らの存在があってこそ成り立つのです。そんな大切な仕事を担う職人さんたちの中から、今回は床山さんにお話ししていただきました。東京鴨治床山株式会社の鴨治忠司さんは伝統の技を継承し、第一線で活躍する床山さんです。


時代の風俗に合わせて鬘を作る

鬘(カツラ)作りは、まず鬘合わせと言って、鬘屋、床山、役者が集まって相談しながら、役者さんの頭の形に合わせて、土台を作ります。そこへ毛を植えるところまでは鬘屋の仕事。もちろん、一人一人オーダーメイドです。それを、役柄や時代、それに役者さんの好みに合わせて結い上げるのが床山の仕事です。公演中は劇場で鬘の掛け外し、手入れ、修理などを行います。立役だけで1000種類以上あると言われて、油で固める「油付き」と櫛で結い上げる「袋付き」の二種類に大きく分けられます。

左側が『暫』などに使われる鬘。作るのには4~5日かかることもあります。右側は侍などに使われる鬘。「油付浮き根の小髷」で、これは青山播磨役に用意しているところ。こちらは40分ほどで完成します。全て人毛なので常に手入れが欠かせません。

「袋付きはいわゆる町人に用い、油付きは世話物・時代物・荒事などの侍に用いることが多くて、プラスチックみたいに見えるかもしれませんが、毛を油でカチカチに固めています。『暫』に出てくるカニ足みたいな鬘がそうですね。江戸時代、役者、狂言作者、衣裳、床山たちが大きさを表現するために衣裳も派手になり、バランスを取るために鬘も巨大化したのではないかと思います。僕らがハリウッド映画にびっくりするのと同じ。ハリウッド映画のスパイダーマンのようなスーパーマンみたいに視覚的にも楽しませる演出を江戸時代のスタッフたちが考えた結果でしょうね」
侍の鬘で、後ろ(髱/タボ)がツルツルに見えるのも油付き。様式的な美しさや重々しい時代味を感じさせるための技法です。「髷(マゲ)も時代によって違います。元禄時代だと、当時、流行った小さい髷に元結をたくさん巻くんです。だから『元禄忠臣蔵』では元結をいっぱい巻いています。その時代の風俗に合わせることが大事。安土桃山時代では、のんびり髷なんか結っていられなかったんでしょうね、ぐるぐるっと紐で巻いて、毛先はボサボサのまま。簡単な髪型です。世の中が落ち着いて来て、色々な風俗が出来上がって来たんだと思います」

羽二重(鬘の下地となる布)の手入れも床山の仕事です。公演中は毎日、終演後に集めてきれいにします。右は髷を取り付けて、「梳い立て(スイタテ)」という道具に油をつけて使います。
鬘は鬢(ビン)や髷などパーツに分かれていて、組み合わせることで完成します。

苦労するのは新作や復活物と言います。100年ぶり、200年ぶりの復活狂言となると誰も見た人はいません。
「脚本家や演出家の方たちと相談して決めていきます。芝翫さんが橋之助時代にやった『小笠原騒動』が復活物で、鬘や衣裳など現代のスタッフ全員で工夫をしました。苦労しますけど自分たちで考案すると充実感があります。コクーン歌舞伎でも何度も仕事をしていますが、古典歌舞伎を斬新な演出で上演して、楽しかったですね。『東海道四谷怪談』では本水を使って、『夏祭浪花鑑』では泥、どんどん激しくなって(笑)。水や泥は鬘には大敵なんですが、そんなことは言っていられない。これだけ鬘が汚れるからお客さんも喜んでくれると思えば、僕らは納得して働けました。汚れた鬘は手入れが大変で、汚れを落としやすいように特別な加工をしたり、昼夜公演のために2枚、鬘を用意したりましたね」

結い上げる前に毛を真っすぐに整えます。電熱器で熱くしたコテに水で濡らした布を巻き付けてから使います。床山部屋には電熱器と鬢盥(ビンダライ/水を入れるもの)が必ず用意されています。

床山を継ぐ決心は意外なところから

現在の会社は鴨治さんの祖父が昭和31年に立ち上げました。それまでは床山は親方について仕事をして、お小遣い程度しかもらえなかったそうです。技術の継承のためにも、生活の安定のためにも会社化は重要でした。4代目の鴨治さんは、すんなり床山になったわけではありません。高校までは俳優、声優、バンドと多彩な活動をしていました。高校卒業後に入社して3年間、修行しましたが、俳優の夢が捨てきれなくて会社をやめようとします。「最後の仕事と決めた『元禄忠臣蔵』の公演中に自転車で転んで大怪我をしてしまったんですよ。祖父が入院している病院に僕も入院して、その日に祖父が亡くなって、死に目に会えたのは僕だけでした。もう、これは継ぐしかないなと」
それからは出直しの修行の日々。最初は櫛を入れても櫛の間からポロポロ毛が落ちて、上手く扱えません。「ちょっとした手の加減なんですけど。慣れてくると毛が扱えるようになるんですが、そこまでは毎日毎日、稽古で、親父は厳しかったですね。苦労したことは段取り。ダラダラやるのはダメだと教わりました。鬘の掛け外しをして、幕間で鬘の手入れをして、次の幕の準備、昼の時間には先輩方の食事の手配も。夜の部の最後の幕の鬘は翌日の朝に手入れします。夜、あんまり残っていると嫌がられて(笑)。床山は終演後、劇場を出るのが早いです。段取りよくやって、打ち出し太鼓と一緒に劇場を出るのが床山の美学(笑)」

若いころは覚えることが多いし怒られもしましたが、少し上達すると嬉しくてね、名人になれるんじゃねえか?とか思って(笑)。でも、先輩方の仕事はどこまでいっても素晴らしくて、まだまだ追いつけません。

全ては役者さんが喜んでくれるために

床山としてのやりがいは役者さんが喜んでくれること。
「役者さんの短所を隠して長所を生かす仕事で、顔の小さい人は鬘合わせの時点で生え際を調整するなど顔を大きく見せたりとかイイ男にして舞台に立ってもらう。歌舞伎役者はすっぴんでは舞台に立てないですから、衣裳を着て鬘をつけて初めて歌舞伎役者なので、その辺の責任とプライドは持てと、入門した時から言われました。技術だけでなく全てをひっくるめて、役者さんを気持ちよく舞台にお出しすることが大事です。役者さんは出番の前に冗談を言っていても、その裏側では緊張していますから、余計なことは言わないようにしています」
 床山は一人前になるのに10年と言われますが、現在では少しでも早く戦力になってもらうために、技術は全てオープンにして教えているそうです。
「僕らが教わったことを後輩たちへ途切れないように伝えることが、年々プレッシャーになっています。やればやるほど仕事の怖さがわかってくる。親父は82歳で現役で、今でも厳しいですが、ずっといてほしいですね。父も祖父に対して同じ気持ちだったと思います」

祖父は十五代目羽左衛門さん、十一代目団十郎さん、八代目幸四郎さんなどを担当していました。父は十三代目仁左衛門さんについて、その後、松島屋さんのご兄弟のお世話をさせてもらいました。僕は今の芝翫さんが橋之助時代から、三人の息子さんたちにもついています。三人とも立役なので、どんどん忙しくなっていますね。

文・沢美也子

〈公演情報〉
歌舞伎町大歌舞伎

公演日:2024/5/3(金・祝)~5/26(日)
会場:THEATER MILANO-Za

「Behind Bunka」では、文化芸術を支える“裏方の役割”にスポットライトを当て、ご紹介しています。ぜひご覧ください。


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