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【1997年のBunkamura】世界が感涙!『ポネット』のロングラン上映

「Bunkamura History」では、1989年にBunkamuraが誕生してから現在までの歴史を通じて、Bunkamuraが文化芸術の発展にどんな役割を果たしたか、また様々な公演によってどのような文化を発信したのか振り返ります。第10回は、1997年に各施設で行った公演や展覧会を紹介します。


■オーチャードホール:ケント・ナガノとリヨン・オペラが来日!歌劇『カルメン』をコンサート形式で上演

オペラとコンサートの両分野で卓越した才能を発揮し、300年以上の歴史を誇るリヨン国立歌劇場を音楽監督としてさらなる高みまで導いた指揮者ケント・ナガノが、97-98シーズンをもって音楽監督を退任することに。そして1997年9月、彼とリヨン国立歌劇場のコンビでは最初にして最後の来日公演となる歌劇『カルメン』がオーチャードホールで実現しました。
今回の公演は、人気・実力を兼ね備えたオペラ界の名花アンネ=ゾフィー・フォン・オッターをタイトルロールのカルメン役に迎え、音楽を中心に楽しむコンサート形式で実施。1986年にリヨン・デビューを飾って以来深い関係を結び続けたフォン・オッターは、北欧出身だからこそ醸し出せるほの暗い情熱を歌声に込め、リヨン・オペラの音楽的なエッセンスをより繊細かつ魅惑的に伝えました。

当時、世界屈指の若手指揮者として注目を集めていたケント・ナガノが、音楽監督を務めるフランスの名門リヨン国立歌劇場とのコンビで待望の来日公演を実現。ビゼーの傑作オペラ『カルメン』をコンサート形式で上演し、音楽と言葉の両面から時間をかけて作品に取り組むことを第一義とする、リヨン・オペラとケント・ナガノの真価を体感できる公演となりました。

●シアターコクーン①:鬼才演出家ルドルフ・ジョーウォが日本人俳優とコラボ!『阿呆劇 トゥーランドット姫』を上演

開館当初から芸術監督を務めてきた串田和美の退任後、シアターコクーンのあり方や方向性を探究する新たなシステムとして、世界の演出家たちとのコラボレーションによる創作を活動の中心とするR.D.B.(Regular Director's Board=常任演出家会議)が1997年よりスタート。そのメンバーとして、ポーランドからルドルフ・ジョーウォ、インドネシアからノノン・パディーリャを招きました。そしてR.D.B.企画の 第1弾として、ヨーロッパの古典戯曲を数多く手がける鬼才ジョーウォに演出を依頼。1997年5月にオール日本人キャストの『阿呆劇 トゥーランドット姫』を上演しました。
本作は、プッチーニのオペラで知られる『トゥーランドット』のカルロ・ゴッツィによる原作戯曲を基に、ジョーウォが日本人俳優のために自ら書き直したもの。北京の王宮を舞台に恋と陰謀が渦巻くドタバタ劇に、イタリアの即興喜劇のテイストも織り交ぜた、ヨーロピアンテイストあふれる作品に仕上がりました。前年のオンシアター自由劇場最終公演以来のシアターコクーン登場となる 吉田日出子や、数々の外国人演出家とコラボを重ねた毬谷友子ら、ユーモアセンスに秀でた日本人俳優たちの想像力もふんだんに発揮され、日本の観客に受け入れられる大人のコメディとして公演は大盛況となりました。

舞台写真©谷古宇正彦
R.D.B.企画の第1弾作品を任されたルドルフ・ジョーウォが選んだ題材は『トゥーランドット』。オール日本人キャストで上演するにあたってジョーウォ自ら来日してワークショップやオーディションを繰り返し、シアターコクーンを知り尽くした吉田日出子をはじめ個性豊かなキャスティングが実現。最小限の装置にとどめられた舞台の上で、俳優たちの想像力と鬼才の演出が融合しました。

●シアターコクーン②:アジア6カ国コラボレーションによる新たなシェイクスピア劇『リア』を上演

シアターコクーンは開館以来、国際交流基金が企画・制作するアジア舞台芸術紹介に共に取り組んできました。そこからさらに一歩踏み出すため、アジアの演劇人たちとの共同作業にチャレンジ。アジア6カ国からスタッフと俳優を集め、シェイクスピアの『リア王』を下敷きにした『リア』を制作し、1997年9月にシアターコクーンで披露しました。
アジア的な感性が光るオン・ケンセンが演出を、独自の様式的な文体で日本の現代演劇シーンを担う岸田理生が脚本を担当し、アジア・バージョンとしてリメイクしました。キャストも能楽師の梅若猶彦、京劇俳優の江其虎をはじめ、インドネシア伝統武術の名手、タイの現代舞踊手、そして片桐はいりなど、日本やシンガポールの個性派俳優が揃い、国籍もジャンルも実に多彩。原作に登場しない不在の母による救済の物語として読み替え、さらに今日のアジアにおける様々な問題を浮かび上がらせ、西洋の普遍的古典をアジア演劇を解体して新たな視点で読み替えた刺激的な作品として再生しました。

舞台写真©谷古宇正彦
能楽師の梅若猶彦、京劇俳優の江其虎をはじめ、シンガポール、中国、タイ、マレーシア、
インドネシア、日本から演劇界の旗手や個性的な俳優たちが集結し、シェイクスピアの『リア王』を下敷きにした『リア』を制作。原作が持つ普遍性を踏襲しつつ大胆に物語を読み替え、さらに権力闘争・新旧世代の交代・老い・性など、アジアが抱える様々な問題を背景に読み取れる、現代性を備えた作品に仕上がりました。

▼ザ・ミュージアム:『生誕120年記念 ヴラマンク展』『没後50年 ボナール展』を開催

1997年は、マティスらと共にフォーヴィスムの代表的画家として活躍したモーリス・ド・ヴラマンクの生誕120年、また親密派(アンティミスト)の画家として知られるピエール・ボナールの没後50年。この節目の年を機に、ザ・ミュージアムでは2人の回顧展を開催しました。
『生誕120年記念 ヴラマンク展』では、ヴラマンクの初期から晩年に至る86点の油彩作品を展示。鮮やかな原色の色彩を用いたうねるようなフォルムの作風から“フォーヴ(野獣)”と呼ばれ、その後、黒を混ぜた鉛色の暗い色彩とスピード感のあるタッチを特徴とする表現主義的作風を生み出すという、独自の絵画世界の変遷を一堂に展観しました。

独学で絵画を学んだヴラマンクは、あらゆる規範に立ち向かって大胆な試みに没頭した末に、フォーヴィスム(野獣派)の世界観にたどり着きました。
『生誕120年記念 ヴラマンク展』では彼の初期から晩年に至るまでの油彩作品87点を展示し、
その独自のスタイルを浮き彫りにしました。


『没後50年 ボナール展』は、出世作となった初期のポスター作品も含め、油彩71作品を中心に3つのテーマで展覧会を構成。浮世絵に魅了され“ナビ・ジャポナール(日本かぶれのナビ)”と呼ばれた彼が、家庭や都市の日常的な情景を数多く描きアンティミストとして知られていく軌跡や、牧歌的な作品世界への移り変わり、さらに裸婦などをモチーフにした独自の画面構成をクローズアップ。ボナールの画業を総合的にとらえる展覧会となりました。

庭、静物、室内、裸婦などの身近なモチーフを好み、「アンティミスム(親密な日常性)」
「夕暮れの感覚」と呼ばれる作品の数々を生み出したボナール。その画業を振り返る『没後50年 ボナール展』では、「色彩の魔術師」と呼ばれた優れた色彩感覚と大胆な画面構成に込められた
彼の革新性に迫りました。

◆ル・シネマ:世界を感動の渦に巻き込んだフランス映画『ポネット』をロングラン上映

1997年、それまでも良質なフランス映画を数多く届けてきたル・シネマで、随一の興行成績を記録したフランス映画のロングラン上映がスタートしました。それは、最愛の母を交通事故で失った4歳の少女が、その悲しみを乗り越えていく姿を温かい眼差しで描いた感動作『ポネット』です。
本作で特筆すべきは何と言っても、主人公ポネットを演じた当時4歳の少女ヴィクトワール・ティヴィソル。小さな頭の中で自分なりの考え方で母の死を理解しようとする健気さ、それでも再び会えるよう奇跡を起こそうとする純真無垢な姿が世界中を感動の渦に巻き込み、ヴェネツィア国際映画祭で史上最年少の主演女優賞受賞という快挙を遂げました。日本でも老若男女問わず幅広い観客に支持され、1997年11月から翌年7月まで33週にわたって上映。合計約12万8000人の動員を記録し、ル・シネマ歴代1位の大ヒット作となったのです。

フランスの名匠ジャック・ドワイヨン監督が、当時4歳の少女ヴィクトワール・ティヴィソルをタイトルロールに迎えて描いた『ポネット』。ティヴィソルは母の死を受け入れられない少女という難しい役柄を熱演。その偽りのない純朴かつ健気な姿が多くの人々の涙を誘い、ル・シネマで歴代最高のロングランヒットを記録しました。

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