見出し画像

“ベートーヴェンの後継者”ブラームスとロマン派音楽の関係は?(ブラームスを深く楽しむ③)

2023年10月からスタートした『N響オーチャード定期』新シリーズのテーマは<ブラームス・チクルス>。国内外の巨匠がタクトを振り、ブラームスの全4交響曲や「ハンガリー舞曲」などの名曲を演奏します。「Bunka Essay」ではチクルスをより楽しむことができるよう、作曲家ブラームスの特徴や魅力を全5回に分けて紐解いていきます。第3回は、ブラームスが分類されているロマン派音楽の定義や特徴、そしてブラームスとロマン派音楽の作曲家たちとの関係について解説します。


ロマン派=ロマンティックな音楽?

ロマン派音楽とは、モーツァルトやベートーヴェンら古典派音楽の次世代に区分される音楽様式。1780年頃から文学や美術の分野において広まった、豊かな想像力による感情・個性・自由の表現を追求するロマン主義の影響を受けたもので、その期間は1820年頃~1900年頃にあたります。
合理的な形式や理性的な秩序を重んじ、その規律の多さゆえ次第に表現が窮屈になっていった古典主義に反発する形で生まれたロマン主義。その影響を受けたロマン派音楽も同様に、ソナタ形式などの伝統的な形式にこだわって過度の感情表現を抑制してきた古典派音楽とは対照的に、喜び・哀しみ・苦悩・愛・理想など作曲家個人の感情や感性(=ロマン)を自由に表現することを追求しました。
古典派音楽の伝統を継承し“ベートーヴェンの後継者”と呼ばれたブラームスも、こうしたロマン的な感情表現においては、ロマン派音楽の作曲家として例外ではありません。自らの才能を見出してくれた恩人シューマンの妻クララへの秘めた思慕、大切な友人を亡くした哀しみ、孤独を深めた人生の晩年における寂しさや諦観といった己の感情を音楽に投影し、聴く人々の心に訴えかける深みのある名作を次々と生み出したのです。

ブラームスとワーグナーは
対立していた!その原因は?

古典派への反発から始まったロマン派音楽の時代には、古典派以前の時代では目立たなかった「標題音楽」が開花しました。その先駆けとなったのは、フランスの作曲家ベルリオーズが1830年に発表した『幻想交響曲』。全5楽章それぞれに《夢、情熱》《舞踏会》《野の風景》《断頭台への行進》《魔女の夜宴の夢》という標題が付けられ、さらにベルリオーズ自身による楽曲の説明が書き加えられました。このように、説明的なプログラムやテーマを掲げるとともに、その内容に沿って作られた楽曲が「標題音楽」と呼ばれたのです。
この標題音楽をさらに推し進めたのがリストとワーグナーです。リストは標題として特定の詩や絵画に着目し、そのテーマに基づいた楽曲を切れ目のない単一楽章で展開する「交響詩」を考案。ワーグナーも従来のオペラに文学・演劇・絵画の要素を付加し、「楽劇」と呼ばれる総合芸術へと進化させました。ロマン派前期を代表する作曲家シューマンも詩から着想を得た作品を数多く発表していて、そのほとんどが曲のイメージを連想できる標題を持っています。なお、2024年4月29日開催の『N響オーチャード定期 第128回』<ブラームス・チクルス>で演奏するシューマンのヴァイオリン協奏曲に標題は付いていませんが、第2楽章の美しい旋律は「天使が夢の中で歌ったもの」と本人が語っているように天上の世界をイメージさせます。

ロベルト・シューマン
リストよりも1年早い1810年に生まれ、ロマン派を代表する作曲家として名声を確立したシューマン。ピアノの名手としても知られる彼は、標題を持つ歌曲やピアノの楽曲を数多く手がけ、独創的な音楽を通じてその物語を語りました。その一方、交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲など管弦楽器主体の名曲も残しています。

一方、標題音楽と対極的な概念として、詩や物語といった外的要素とのつながり(つまり標題)を持たず、純粋に音楽のみで楽曲を構成する「絶対音楽」があります。古典派の楽曲の大半は絶対音楽で、ベートーヴェンの継承者ブラームスはもちろん絶対音楽派でした。ちなみにブラームスは標題音楽派ワーグナーの作品自体は認めていたそうですが、ブラームスの友人であり絶対音楽を信奉する評論家ハンスリックがワーグナーを批判したことをきっかけに、絶対音楽の代表格として標題音楽派(ワーグナー派)から激しい批判を受けるようになりました。これが後世まで語り継がれる、ブラームスとワーグナーの対立の実態です。

リヒャルト・ワーグナー(1871年)
従来のオペラを「楽劇」という新しい形式へと進化させたワーグナー。シューマンたちのように標題を持つ楽曲は作っていませんが、短い主題・動機を特定の人物や状況に結び付ける「ライトモティーフ」を多用。標題音楽の表現方法に多大な影響を与え、絶対音楽派との論争において標題音楽の代表格となりました。

ブラームスと仲が良かった
ロマン派の作曲家はいたの?

こうしたワーグナーとの対立からも分かるように、ブラームスはロマン派音楽の作曲家たちとあまりウマが合いませんでしたが、なかには良好な関係を築いた作曲家もいました。その一人がドヴォルザークです。ブラームスはオーストリア政府の国家奨学金の審査会でドヴォルザークの才能を見出し、その後も交流を深めました。特にメロディの美しさを高く評価し、「ドヴォルザークがゴミ箱に捨てたメロディを集めれば、私は交響曲を1曲書けるだろう」という言葉を残しています。
もう一人、ブラームスと親交の深かった作曲家が、『美しく青きドナウ』などの優美なワルツで知られるヨハン・シュトラウス2世。2人は避暑地で夏を共に過ごし、シュトラウスの義理の娘から扇にサインを求められたブラームスが『美しく青きドナウ』の数小節を書き、その下に「残念ながらヨハネス・ブラームスの作品にあらず」と書き添えたエピソードも残っています。ちなみにウィーンの墓地でも2人の墓は隣同士で、そうとう仲が良かったのでしょう。

ヨハン・シュトラウスとヨハネス・ブラームス
(バート・イシュルのシュトラウスの別荘にて, 1984年)
音楽的見地の違いから同時代の作曲家たちと衝突を繰り返したブラームスが、数少ない良好な関係を築いていたのがヨハン・シュトラウス2世。ともにウィーンを拠点に活動していた2人は、オーストリアの保養地バート・イシュルで交流を深め、ブラームスがシュトラウスの別荘をたびたび訪れていました。

ロマン派の時代において独自の音楽を確立したブラームス。同時代の作曲家の作品と聴き比べることで、その特徴と魅力がいっそう際立つことでしょう。

文:上村真徹

〈公演情報〉
N響オーチャード定期2023/2024
東横シリーズ 渋谷⇔横浜
<ブラームス・チクルス>
Supported by IHI

第125回 2023/10/28(土)15:30開演 会場:横浜みなとみらいホール
第126回 2024/1/8(月・祝)15:30開演 会場:Bunkamuraオーチャードホール
第127回 2024/3/2(土)15:30開演 会場:横浜みなとみらいホール
第128回 2024/4/29(月・祝)15:30開演 会場:Bunkamuraオーチャードホール
第129回 2024/7/6(土)15:30開演 会場:横浜みなとみらいホール

「Bunka Essay」では、文化・芸術についてのちょっとした疑問や気になることを取り上げています。他の記事もよろしければお読みください。