見出し画像

トークイベント『源氏物語のはじまり、そしてミライへ』開催レポート

6月14日(金)、日本の古典文学の最高峰『源氏物語』をテーマとしたトークイベント『源氏物語のはじまり、そしてミライへ』が、京都新聞文化ホールで開催されました。登壇したのは、『ミライの源氏物語』が第33回(2023年度)Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した山崎ナオコーラさんと、紫式部が『源氏物語』を起筆したとされている古刹・石山寺の第53世座主を務める鷲尾龍華さんです。

『ミライの源氏物語』で『源氏物語』を現代の社会規範から読み解いた山崎さんが、石山寺で歴代初の女性座主である鷲尾さんと共に、作品と縁の深い京都の地で語り合いました。

--------

山崎 以前から石山寺に行ってみたいと思っていて、今日イベントの前にようやくお参りすることができました。とても風情のあるお寺ですね。

鷲尾 石山寺には紫式部が7日間の参籠をした際に『源氏物語』の着想を得て起筆したという伝説があり、今年は大河ドラマの影響で多くの方が来てくださっています。山崎さんのように文学を書かれていて、なおかつ今の時代に作品を読み出されている方にお参りいただけるのは、とてもありがたく思います。

山崎 仏教では「フィクションを書いたら地獄に落ちる」と言われていて、紫式部も地獄にいるかもしれないと聞いたことがあります。私もフィクションを書いているので怖くなりました(笑)。

鷲尾 昔から仏教には「嘘をついてはいけない」という戒律があり、その戒律に反して嘘の物語でたくさんの人を惑わせた罪で、紫式部が地獄に落ちたと言われるようになったのです。この逸話を題材にしたのが『源氏供養』という能で、実は紫式部は観音の化身で、彼女が物語を書いたのはいろんな人を仏教に導くための方便だと語られています。やはり、物語はそれだけの力を持っているということでしょうね。

山崎 そう言えば、『更級日記』を書いた菅原孝標女も少女時代に『源氏物語』に夢中になったけど、年齢を重ねてから反省して仏道に邁進したそうです。でも、『源氏物語』を読んだからこそ、そうした道を進んだわけで、ある意味では物語に導かれたとも言えますね。

鷲尾 物語は自分の生きる道を見出すものでもあるのでしょうね。ところで『ミライの源氏物語』をとても楽しく読ませていただきました。ナオコーラさんはいつ頃『源氏物語』に興味を持たれたのですか?

山崎 教科書で読んだのが最初だったと思います。どのエピソードだったかは忘れてしまいましたが。

鷲尾 私も教科書で『源氏物語』を読んだ記憶があります。光源氏が初めて若紫を見つけて「可愛い」と思う場面だったかな。石山寺という『源氏物語』ゆかりのお寺で生まれ育った私は、このお寺でお坊さんになりたいと思っていて、そうすることで『源氏物語』も一生付いてくると子どもの頃からずっと考えていました。

山崎 「一生付いてくる」って素敵なフレーズですね。

鷲尾 『源氏物語』を読んでいて、昔の人の感覚がなんとなく違うなと小さい頃から感じていましたが、『ミライの源氏物語』を読むことでそうした違和感が解消されました。そこでナオコーラさんが『源氏物語』についてどのように思われているのか気になったんです。

山崎 龍華さんがおっしゃった場面は、紫の上はまだ10歳程度だったと思いますが、そんな子どもに「可愛い」とか「理想の女性と似ている」ともやもやとしますね。私が大学で平安文学を研究していた頃は、研究の現場において誰ももやもやとしていなかったのですが、こうしたもやもやと向き合った読み方まで踏み込んでいかないと『源氏物語』を未来の読者につなげていけないんじゃないかなと思うんです。

鷲尾 そうなんですね。

山崎 とはいえ、現代の感覚で「差別的だ」と批判したいわけではありません。「こうすると楽しめるよね」と考えることで、現代の私として『源氏物語』を面白がる新しい視点を獲得できるんじゃないかと思って書きました。

鷲尾 『ミライの源氏物語』の他にも俵万智さんとのトーク動画も拝見したのですが、私が『源氏物語』の中で好きな女君はナオコーラさんと同じじゃないかなと思いました。

山崎 私は女三宮と浮舟を応援したい気持ちがあります。

鷲尾 私もそうなんですが、その2人が好きという方はそんなに多くない気がします。どんなお気持ちで応援したいのですか?

山崎 女三宮と浮舟はこれまで読者に恵まれていなかったと思っています。女三宮が柏木と無理やり契ることになった後に出家した理由を「光源氏への罪の意識によるもの」という読み方をされたり、薫に愛されながら匂宮の性暴力の被害に遭った浮舟も「二股をかけたヒロイン」という可哀想な読み方をされたりしてきました。だから、もうちょっと違う読み方を見つけてあげたいなという気持ちがあったんです。

鷲尾 なるほど。

山崎 女三宮も浮舟も最後に出家するのですが、自分の意思で生き方を決める2人の姿がかっこよく、応援したくなるんです。また、恋愛物語として長く続いた『源氏物語』が浮舟の出家で完結するのも、恋愛というものの限界をすっと表現していてすごく面白いですね。

鷲尾 私も最初は「ここで終わるんだ」とびっくりしましたが、瀬戸内寂聴さんが「『宇治十帖』は紫式部が出家して執筆したもので、恋愛という苦しみの世界から抜けていくところを書いている」とおっしゃっていたのを聞いてなるほどと思いました。また、2人の男性から想われた浮舟が、どちらも選ばず入水してしまうほど苦しんだ末に出家するというのは、仏教に関わる者として感慨深いものがあります。

山崎 女性にとって出家というのは、どういうものなのですか?

鷲尾 出家とは、世間のあらゆる価値観から抜け、生きるとか死ぬというところも越え、すべてを仏の目で見ることです。平安時代の女性の出家も、現生とのギャップを飛び越えて違う世界へ行くような感覚だったのかなと思います。そもそも、当時の女性の美しさの象徴である長い髪を切ることは世間的な価値観を捨てる行為であり、いわば死んだも同然みたいな境地に入るわけです。

山崎 死んだも同然になった後の人生にも幸せってあるんですか?

鷲尾 はい。愛情や財を得るという世界から離れて仏の道を歩み、心静かに暮らせることへの幸せは絶対あると思います。

文:上村真徹

第33回Bunkamuraドゥマゴ文学賞
山崎ナオコーラ 著『ミライの源氏物語』(2023年3月 淡交社刊)
選考委員:俵万智
お二人の選評と受賞の言葉はホームページでお読みいただけます。

俵氏と山崎氏による受賞記念対談も2024年8月31日までBunkamura STREAMINGにて無料配信中です。