パリの文学賞「ドゥマゴ賞」とは?
Bunkamuraでは文化・芸術の発信だけでなく、新たな文化の担い手や才能の発掘も積極的に行っています。その一環として毎年開催しているのが「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」です。今回は、この賞が誕生した背景と、その元となったパリの文学賞「ドゥマゴ賞」のルーツに迫っていきます。
カフェと文学にどんな関係がある?
Bunkamuraの開業1周年にあたる1990年9月3日に創設された「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」。既成の概念にとらわれることなく、常に新しい才能を認めて発掘に寄与することを目的に、毎年交代する“ひとりの選考委員”が優れた文学作品を選ぶというユニークなスタイルの文学賞です。
この賞は、パリの老舗カフェ「ドゥマゴ」初の海外業務提携店「ドゥ マゴ パリ」がBunkamuraにオープンしたことにちなんで創設されたものです。「カフェと文学に何の関係があるの?」と思われる方もいるかもしれませんが、実は「ドゥマゴ」と文学は切っても切り離せない関係にあるのです。
パリの老舗カフェから生まれた先進的な文学賞
「ドゥマゴ」はもともと布地や絹製品を扱う流行服飾店として、1813年にパリ6区で開店した商店。店名は当時ヒットしていた戯曲『レ・ドゥマゴ・ド・ラ・シヌ(フランス語で「中国の2つの陶器人形」)』から取ったもので、店内には現在「ドゥマゴ」にあるものと同じ2体の中国高官の陶器人形が飾られていました。その後、服飾店は買収され閉鎖しましたが、1884年に同じ6区のサン=ジェルマン=デ=プレ広場で「ドゥマゴ」の看板を掲げたカフェが創業。1920年代にパリで芸術と文化が花開き“狂乱の時代”が到来して以降、ピカソやヘミングウェイやサルトルなど多くのアーティストが集まっては議論に花を咲かせ、幾多の文学や芸術が育まれていきました。
こうしてパリ左岸の文化的な拠点となった「ドゥマゴ」で、1933年に創設された文学賞が「ドゥマゴ賞」です。創設したのは、「ドゥマゴ」の常連客だった作家、画家、ジャーナリストら13人。フランスで有名な文学賞であるゴンクール賞の権威主義に反発した彼らが、「自分たちの手で独創的な若い作家に文学賞を贈ろう」と思い立ち、各々100フランずつ出しあって賞金を1300フランとし、アヴァンギャルドな精神に満ちた将来性豊かな作家を称えることにしたのです。
第1回の受賞作は、新進作家レーモン・クノーが当時出版したばかりの処女作『はまむぎ』。ヌーヴォー・ロマンの先駆的作品でありながら文壇から無視されていた『はまむぎ』が表彰され、その後クノーはフランス文壇の最も先鋭的な作家の一人として活躍しました。第2回以降はその精神に共鳴した「ドゥマゴ」の店主が賞金を引き受け、新鮮な作品を発掘する文学賞として今でも注目されています。
Bunkamuraが受け継いだ「ドゥマゴ賞」の精神と独自性
そしてBunkamuraドゥマゴ文学賞は、賞の名称だけでなく、こうしたパリのドゥマゴ賞の先進性と独創性も受け継いでいます。選考委員が一人かつ毎年交代するというシステムはBunkamuraドゥマゴ文学賞独自のもので、選考委員と受賞作の組み合わせも含めて毎年話題を集めています。
ちなみに、歴代の選考委員の多くは「一人だけというのがプレッシャーだった」と述べているとのこと。しかし、“ひとりの選考委員”がその人ならではの基準に基づいて選考するからこそ、小説・評論・日記・絵本など特定のジャンルに固まることなく様々なタイプの作品が歴代受賞作に名を連ねるという、他の文学賞にはない特徴が生まれているのです。
なお、第33回となる2023年度は俵万智さんが選考委員を務め、9月に受賞作が発表されました。歌人の俵さんがどんな観点から新しい才能を発掘されたのか、お確かめください。
今年で90回をむかえたパリのドゥマゴ賞の授賞式が執り行われました。現地のレポートもお読みください。
※Bunkamura長期休館(一部施設を除く)に伴ってカフェレストラン「ドゥ マゴ パリ」はいったん営業を終了。6月、渋谷駅近くにオープンした「Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下」内で小さなスタンドカフェ「ドゥ マゴ パリ プチカフェ」として、お客様をお迎えしています。
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