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次世代の能楽師が人間国宝の祖父・父から受け継ぐもの/茂山逸平さんインタビュー

“文化の継承者”として次世代を担う気鋭のアーティストたちが登場し、それぞれの文化芸術に掛ける情熱や未来について語る「Bunka Baton」。第12回は、能・狂言を中心に、様々なジャンルの芸能を発信しているセルリアンタワー能楽堂で公演される『狂言の会-茂山狂言会-新作!?いや、もはや古典!!』から、能楽師の茂山逸平さんにご登場いただきました。つい先ごろも孝明帝を演じたドラマ『大奥』をはじめ、NHK連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『ごちそうさん』など多くの映像作品への出演でも知られています。


稽古を始めたのは、父やみんなと一緒にいたかったから

江戸時代初期から、京都在住の狂言師の家として歴史に残る茂山千五郎家の、二世茂山七五三(しめ)さんの次男として、4歳の時に『業平餅』の童にて初舞台を踏んだ茂山逸平さん。「写真には残っていますけど、正直、舞台に上がった記憶はないんですよ」と明かします。ただ、初舞台を踏むそれより前の、一番古い狂言に関する記憶は残っているとか。
「幼稚園を休んだのか早引けしたのか、車に乗って大阪まで、従兄の茂さんの靱猿(うつぼざる)を観に行ったんです。ホールの横から“見てろ”と言われて見ていたのが僕にとっての一番古い狂言の記憶です」。さらに小さな頃の記憶として「父が月曜から金曜まで銀行員をしていて、土日だけ狂言師をしていた。変な家庭だったんですよ」と振り返ります。
逸平さんのお父様は、今年7月に重要無形文化財(人間国宝)に認定された二世七五三さんですが、大学卒業後は銀行に就職し、40歳までサラリーマンと狂言師の二足のわらじを履いていた異色の経歴の持ち主。そのため「お父さんと一緒にいたいから、土日はおじいちゃん(四世茂山千作・人間国宝)のいる本家に行くことが多かったんです」という逸平さん。「従兄の(十四世)千五郎さんとか茂さんとか、兄貴(宗彦)と一緒に遊んでいると、途中で、みんなお稽古に連れて行かれちゃうんです。そうすると僕は一人きりになるんですよ。で、寂しいから稽古場に行くと、“じゃあ、稽古しろ”となる。特殊なんです。僕の場合、稽古ありきではなくて、みんなと一緒にいたいから稽古の場に立つことになって、気づいたらそこに浸かっていたんです」。
だからなのか、「やらされた」と思ったことがなく、嫌いになったこともないのだとか。ただ一度だけ、本当に舞台に行きたくない!と思ったことがあるそう。
「高校3年生の文化祭の日です。男子校だったんですけど、その日だけ、近隣の女子高生が来るんです。それで、お父さんにお願いだからこの日は仕事を入れないでほしいとお願いしていたんですけど、入ったんですよ……」。結局、文化祭に行けなかったという逸平さん。高校生とはいえ、やはりプロの自覚なのかと思いますが、逸平さんいわく「すっげえ、怖かったんです。うちのお父さん。決まったからには、仕方ないと。有無を言わさぬ感じでした」と遠い記憶に思いを馳せていました。

ちょっと変わった狂言のスタートにも、逸平さん“らしさ”が伝わってきます。

外の世界を教えてもらった朝ドラの現場

逸平さんといえば、狂言師としてはもちろん、俳優としての活動も知られています。朝ドラでは『京、ふたり』に始まり『オードリー』『だんだん』『カーネーション』『ごちそうさん』、ほか大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』など、多くの作品に出演しています。1990年後期放送の『京、ふたり』に出演時は、まだ小学生でした。「知らないおじさんにすごい怒られるんですよ!」と当時を思い返す逸平さん。
「狂言の場合は、おじいさんかおじさんかお父さん、叱るのは言うても身内ですけど、ドラマの現場に行くと、知らないおじさんがめちゃくちゃ怒るんです。しかも週によってディレクターが違ったりして、リハーサルで怒られたと思ったら、本番でまた違う知らないおじさんに怒られるんです」。それは理不尽と思ってしまいますが、そうでもなかったのだそう。
「うろうろしてたらダメだろ!と、照明さんに叱られたりして。知らない人にいっぱい怒られるんですけど、あとで考えてみると、確かにそこに自分が立っていると、ライトが当たるべき人に当たらないんです。バミリ(演者の立ち位置を記したテープ)にちゃんと立て!とか。“誰、この人?”みたいな、絆も何も築けてない、知らない人たちからいっぱい怒られました。ルール説明はちゃんとしてくれないけど、ルールは教えてくれた、みたいな感じでした。ちゃんと自分で考えろと」。このエピソードには素敵な後日談も。
「すごく可愛がってももらいましたし、いまだに大阪のNHKに行くと、すっげー怖かったカメラマンのおじさんたちがいて、“逸平ちゃん!”と言って可愛がってくれるんです」。それも逸平さんの人柄あってこそでしょう。
朝ドラ関連の思い出にはこんなことも。「いろんな場所に呼ばれて、僕の人生最初のピークだったんです。その時に、人間国宝ということで、おじいさんも一緒に呼ばれたりして、先生のお孫さんだったのが、“逸平ちゃんのおじいちゃん”になった。それで、“こいつは仕事を抱えて帰って来る孫だ”と思ってもらえたのか、おじいさんも4人目の孫だったのでそれまで僕にそんなに興味がなかったんですけど、その時期は稽古もすごくしてもらえました」と少々自虐的にユーモアを交えながら、おじい様とのエピソードを語ってくれました。

狂言の初舞台が4歳でNHKの朝ドラ出演は10歳と、すごすぎる経歴もご本人は飄々と。

人間国宝は基本弱気。
その危機感を見習い、引き継ぎたい

そんなおじい様と、お父様の共通する点として「基本、弱気」だと言う逸平さん。そこを「見習いたい」と話します。「お客さんが楽しんでいたか、自分の声が出ていたか。舞台に出ている以上は、自分が一番面白いと思っていますけど、下がってからは、それでよかったのかと、おじいさんは孫の僕にも聞いてきていました。そうした凄まじい危機感、恐怖感は見習うべきだと。その頃は、“何を言うてはるんですか”と言ってましたけど、最近お父さんに聞かれると、ちゃんと答えるようにしています」。そこには、せがれとしての思いがあると。
「76歳になって、50歳の時の父の芸とは、良くなった面もあれば、悪くなった部分も正直あります。病気もしてますからね。そこをなんとかすり合わせてあげたいですから。現役の役者ですからね。おこがましいですけど、一番側でずっと観てきたせがれなりに。お父さんが偉くなったので、より一層しなきゃいけないなと。同じように、自分の息子や甥っ子たちにも、自分の今をちゃんと見ておいてもらって、20年後や30年後にちゃんとチェックしてほしいと思っています」と真摯に話す逸平さん。2009年生まれの長男、慶和くんは2013年に初舞台を踏みました。その存在は大きいと言います。「僕にとっての取り組み方にも影響を与えてくれていますし、じいじにも確実に力になっています。毎日、じいじの家に行って稽古してもらっていますよ」。

慶和くんの話になると父の顔に。「僕にしてあげられることはしてあげたい」そう。

茂山狂言だけでなく、いろんなものを観てほしい

1月の公演については「新作と聞くと敬遠する人もいます。理屈っぽいものが多い印象があるのだと思います。今の時代だからこそといって、言わなくてもいいことを言いたくなって入れていたりして。でも今回の3作に関しては、作品の力があるものが残り、そして人を変えて、場所を変えて演じられてきたことによって、いろんなことがそぎ落とされています。楽しみにしていただいて大丈夫だと思います。いわゆる新しいものとして観ていただく力も持っていますし、古典愛好家の方の厳しい目もクリアしてもらえるだろう演目になっています」と胸を張ります。
また最後に、能楽界全体についてもメッセージを送ってくれました。「茂山狂言だけでなく、いろんなものを観てほしいです。今、推し活って盛んですけど、たとえば狂言でも推し流儀とかってなってくると、結構狭くなるんです。でももっと能・狂言の世界全体が盛り上がったほうがいいんじゃないかなと思うんです。逆に言うと、そうなれば笑いに特化してそこにどこよりもこだわってきたうちの良さを、より分かっていただけるのではないかと。その自負はあります。2時間笑いたいならぜひうちで。そのためにも、いろんなものを観ていただけたらいいかなと思います」。

文:望月ふみ

〈プロフィール〉

1979年6月12日生まれ、京都府京都市出身。狂言方の能楽師・俳優。二世七五三の次男であり、父と祖父・四世茂山千作に師事。4歳の時に演目『業平餅』にて初舞台を踏んだ。1994年に兄・宗彦、従兄の茂と結成した「花形狂言少年隊」を皮切りに、積極的に様々な活動を開始。企画製作から出演まで、すべてを自分たちで行う、千五郎・宗彦・茂・逸平・千之丞の5人による狂言ユニット「Cutting Edge KYOGEN」も好評を博している。俳優としても数々のドラマや映画、舞台、CMに出演。2009年に生まれた長男の慶和も、4歳より舞台に立っている。

茂山千五郎家公式ホームページ https://kyotokyogen.com/
X @IppeiShigeyama

〈公演情報〉
狂言の会-茂山狂言会-新作!?いや、もはや古典!!
2024/1/13(土)13:00開演
会場:セルリアンタワー能楽堂

「Bunka Baton」では、“文化の継承者”として次世代を担う気鋭のアーティストたちが登場し、それぞれの文化芸術に掛ける情熱や未来について語っていただきます。ぜひご覧ください。