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なぜ日本人はミュシャが好きなのか?アール・ヌーヴォーの魅力に迫る

“アール・ヌーヴォー”を代表する画家であり日本でも人気の高いアルフォンス・ミュシャの作品を、高解像度のプロジェクションを通して没入体験できるBunkamuraザ・ミュージアムがお贈りするイマーシブ展覧会『グラン・パレ・イマーシブ 永遠のミュシャ』が、12月3日からヒカリエホールで始まります。そこで今回は、知っておくとミュシャの作品鑑賞をより楽しむことができる、アール・ヌーヴォーの特徴や魅力について解説します。


機械では作れない「曲線美」がアール・ヌーヴォーの魅力

19世紀末から20世紀初頭にかけて独自の画風で活躍し、当時流行した芸術様式“アール・ヌーヴォー”の旗手と呼ばれたミュシャ。彼の作品は洗練・エレガンス・モダニズムの象徴として、国を超え、そして時代を超えて多くの人々を魅了し続けてきました。そんなミュシャの魅力をより楽しむには、アール・ヌーヴォーについて理解を深めることが近道です。
アール・ヌーヴォーとはフランス語で「新しい芸術」という意味で、19世紀末にヨーロッパで生まれた芸術様式です。当時のヨーロッパは産業革命によって都市化と工業化が進み、機械で大量生産された安価な粗悪品が出回っていました。そうした状況に反発した人々が、自然の持つ美への回帰を目指し、職人の技や中世ゴシック時代の芸術を通じて生活の美化を推進する「アーツ・アンド・クラフツ運動」をイギリスで開始。やがてこの思想はヨーロッパ各国に広がり、アール・ヌーヴォーという新しい芸術様式へと結実したのです。
都市化と工業化への反発を背景に持つアール・ヌーヴォーは、草花や昆虫など自然のモチーフを好んで用いていることが特徴的。さらにそれらのモチーフは、機械では作ることのできない繊細かつ柔らかな曲線で表現され、絵画のみならず建物や家具の装飾としても優雅な彩りを加えました。アール・ヌーヴォーは「ベル・エポック(美しい時代)」と呼ばれる栄華を誇っていたパリで特に大きく盛り上がり、1900年のパリ万博ではアール・ヌーヴォー様式の芸術作品や建物が主役を飾るほど流行の頂点を迎えたのです。

アルフォンス・ミュシャ 《桜草》 1899年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©2024Mucha Trust
アルフォンス・ミュシャ 《夢想》 1898年 カラーリトグラフ ミュシャ財団蔵 ©2024Mucha Trust

エレガントな女性像に花・草木などの装飾モチーフや華やかな色彩を融合させた作品の数々で、パリのアートシーンを一世風靡したミュシャ。アール・ヌーヴォーの特徴である流麗な曲線を自在に駆使し、「線の魔術師」と呼ばれました。

絵画だけではない!アール・ヌーヴォーは多岐にわたる芸術様式

アール・ヌーヴォーが斬新だったのは、絵画や彫刻だけでなく、生活を取り巻くすべてを芸術の対象としたこと。建築・家具・食器などの工芸品、さらには商業用ポスターなどのグラフィックデザインまで波及し、総合芸術という概念を作り上げました。例えばミュシャも、絵画だけでなく雑誌の表紙や挿絵、ポスターを作成するグラフィックデザイナーとしても活躍した、まさに総合芸術家。さらにミュシャのほかにも、ガラス工芸作家のエミール・ガレや、イギリスではインテリアデザイナーのウィリアム・モリスなど、多岐にわたる分野の芸術家たちが活躍しました。
またアール・ヌーヴォーでは、装飾的なデザインを幅広い形で表現するために、当時の新素材である鉄やガラスが用いられました。鉄やガラスは加熱・冷却によって変幻自在となるため、アール・ヌーヴォーの特徴である曲線を自由に表現できる格好の素材。柱、梁、階段の手すりなどさまざまなものに使用され、アール・ヌーヴォーの装飾性をよりいっそう引き立てたのです。こうした面でもアール・ヌーヴォーは「新しい芸術」だったのです。

フランス・パリ16区、地下鉄ポルト・ドーフィーヌ駅の入り口。アール・ヌーヴォーの代表的フランス人建築家エクトール・ギマールが手掛けました。
《ジスモンダ》のポスターを背にしたミュシャ、パリ、ヴァル=ド=グラース通りのアトリエにて 1901年頃 ミュシャ財団蔵 ©2024 Mucha Trust

サラ・ベルナール主演の演劇ポスター《ジスモンダ》。この作品は彼女の魅力をとらえた華やかな表現や様式化された装飾が特徴的で、本作をきっかけにミュシャは自らの様式の基盤を確立し、アール・ヌーヴォー作家として確かな評価を獲得しました。

アール・ヌーヴォーは日本と深い関係があった!

そんなアール・ヌーヴォーの独自性に大きな影響を与えたのは、実は日本の浮世絵でした。19世紀後半のヨーロッパでは、国際貿易が活発になったことで日本の文化や芸術が積極的に紹介され、浮世絵など芸術作品への関心が高まり「ジャポニスム」と呼ばれる日本趣味が流行。当時の芸術家たちは、浮世絵特有のアシンメトリー(左右非対称)な構図や明るく鮮やかな色彩感覚など、ヨーロッパの伝統的な芸術にはない斬新な表現からインスピレーションを得て、アール・ヌーヴォーという新たな芸術の形を作り上げていったのです。
そして一方、パリ万博をきっかけに渡欧した日本の芸術家たちは当時大流行していたアール・ヌーヴォーに衝撃を受け、単なる模倣ではない日本独自のスタイルを模索しつつ、絵画・工芸品・建築物などにおいてアール・ヌーヴォーのように造形美豊かな表現に取り組みました。例えば東京駅丸の内駅舎や三菱一号館美術館など、アール・ヌーヴォー様式を取り入れた明治・大正時代の建物はその顕著な例。藤島武二が描いた雑誌『明星』や与謝野晶子の歌集『みだれ髪』の表紙なども、ミュシャの影響を伺うことができます。
さらに1970年代に日本初のミュシャ回顧展が開催されたことをきっかけに、ミュシャの表現は山岸凉子の『アラベスク』をはじめ少女漫画の世界にまで影響を及ぼすようになりました。そして現代においても、人気ゲーム『ファイナルファンタジー』シリーズの天野喜孝や『ロードス島戦記』の出渕裕など、ミュシャとアール・ヌーヴォーはクリエイターたちに多大なインスピレーションを与え続けています。

天野喜孝《「アルスラーン戦記 2 王子二人」(田中芳樹著/角川書店)のためのイラスト》 1987年 アクリル、カラーインク・紙

このように相互に影響を与え合った背景を知ると、日本におけるアール・ヌーヴォーの人気や、その代表的な芸術家であるミュシャが親しまれている理由も納得できますね。時代や国境を超えて人々を感動させ、日本人にも馴染みやすいアール・ヌーヴォーの魅力に触れてみませんか。

アルフォンス・ミュシャ 《原故郷のスラヴ民族―連作〈スラヴ叙事詩〉より》 1912年 油彩、テンペラ/キャンバス ミュシャ財団蔵 ©2024 Mucha Trust

ミュシャは1910年から1928年にかけて全20作もの連作<スラヴ叙事詩>を手がけました。スラヴ民族の歴史や神話がモチーフになっていて、チェコ生まれのミュシャが自身のルーツを表現した力作です。

文:上村真徹

〈展覧会情報〉
グラン・パレ・イマーシブ 永遠のミュシャ

2024/12/3(火)~2025/1/19(日)
※休館日:12月19日(木)、1月1日(水・祝)
ヒカリエホール(渋谷ヒカリエ9F)
*本展はすべてデジタル作品の展示となります。

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