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戯曲を読み込み、俳優が舞台で何かを起こすための「設計図」を描く/翻訳家の仕事

文化芸術を支える“裏方の役割”にスポットライトを当てる「Behind Bunka」。第4回は、海外戯曲の翻訳家に迫ります。アーサー・ミラー、テネシー・ウィリアムズなど20世紀を代表する大劇作家から、トム・ストッパード、サイモン・スティーヴンスなど現在も活躍中の劇作家まで、幅広い作品の翻訳を手がける広田敦郎さんにお話を伺いました。芝居の骨格となる台本=戯曲翻訳の世界とは?


“設計図”としての戯曲

9月に上演されるキャリル・チャーチル作『A Number ─数』『What If If Only ─もしも もしせめて』でも翻訳を担当する広田さん。小説などとは違い、戯曲は作品の完成形ではなく、舞台上で起きるべき出来事の“設計図”だと語ります。
「推敲の繰り返しです。一個一個の台詞の中で人物が相手の人物に何を求め、何をしようとしているのか、読み解きながらテキストを練っていく。そうやって、俳優さんが舞台で何かを起こすための“道具”を作っていくんです。お客さんは舞台上の出来事を一つ一つ追うことで大きな物語を経験しますから、無数の小さな瞬間と全体の構造の両方に目を配って作業します」
稽古が始まると、演出家やデザイナー、俳優との対話、稽古で気づいたことを取り入れ、言葉をアップデートしていきます。上演を前提とする戯曲の翻訳は、様々な人との関わりの中で行う共同作業です。特に『What If If Only』のように日本初演となる作品では、「疑問があまりにも多くて、演出のジョナサン・マンビィさんと話して初めてわかることもたくさんありました」と広田さん。海外の演出家とは戯曲の内容について密にコミュニケーションを取ることが多いそうです。
「アーサー・ミラーの『みんな我が子』では、演出のリンゼイ・ポズナーさんが俳優さんと一緒に台詞の一言一句を確認していきました。この時はまず僕の日本語訳の英訳をリンゼイさんに読んでもらう段階がありました。ミラーは日常のシンプルな言葉で大聖堂を築き上げるような劇作家で、人物の間にスリリングな駆け引きが生まれるよう、同時に骨太な物語が伝わるように訳すのが大変です。今回のキャリル・チャーチルは2本とも非常に短い戯曲ですが、2、3時間の長編にもなるような人生が凝縮されています。ミニマルで風変わりな文体のテキストから、人物が言おうとして言えなかったこと、あえて言わなかったことまで掘り起こし、そこから逆算して台詞を作らなきゃならない。稽古を通してまだ調整する必要があると思います」

「戯曲の翻訳は共同作業」と語る広田敦郎さん。稽古場にスタッフ・キャストが初めて顔を揃えて台本を読む「読み合わせ」の日が一番緊張するという

芝居好きから戯曲翻訳の道へ

もともとミュージカルが大好きだったという広田さん。最初に自分の意思で観に行った演劇は劇団四季の『ジーザス・クライスト=スーパースター』でした。高校の恩師に勧められて進んだ大学の英文科では、小田島雄志訳のシェイクスピア全集を参考にしながら初めて「戯曲を読む」体験をします。1990年代前半に観たTPT(シアター・プロジェクト・東京)の『ヘッダ・ガブラー』では、演出家デヴィッド・ルヴォーが手がけたイプセン作品の面白さに衝撃を受けました。大学卒業後、劇団四季を経てTPTの門を叩いたのも、自然な流れだったと言えるでしょう。
「演劇の世界で本当は何がしたいのかよくわかってなかった時期、上演台本づくりの議論に加わるようになって、20代の終わりに翻訳したのがストリンドベリの『令嬢ジュリー』と『債鬼』(99年)です。去年亡くなった薛珠麗さんとの共訳でした」
TPTで翻訳を始めて数年後、活躍の場を広げるきっかけとなった作品が、トム・ストッパード作、蜷川幸雄演出による上演時間9時間に及ぶ大作『コースト・オブ・ユートピア─ユートピアの岸へ』(09年)でした。本作で広田さんは第2回小田島雄志翻訳戯曲賞を受賞します。

広田さんがBunkamuraで翻訳を手がけた上演台本の数々。右から『コースト・オブ・ユートピア ─ユートピアの岸へ』(09年/トム・ストッパード作、蜷川幸雄演出)、『民衆の敵』(18年/ヘンリック・イプセン作[シャーロット・バースランドの英語逐語訳による]、ジョナサン・マンビィ演出)、『A Number ─数』『What If If Only ─もしも もしせめて』。左2点は原語版戯曲

今に生きる作品としての言葉を

「僕の悪夢は、翻訳がめちゃくちゃ間違っていることと、翻訳のせいでお客さんが演劇を嫌いになってしまうこと。古典を継承していくためには、テキストが自ずと映し出す世界の現状を逃さず捕まえなきゃならない。日本で3回目の上演となる『A Number』は、初演当時話題だったクローン技術を題材にしつつ、“過去との対峙”という誰の心にも刺さるテーマを扱っています。新作『What If If Only』と並べると、人が前へ進むために過去の過ちや不都合な現状と必死で折り合いとつけようとする姿がより鮮明に見えてくる。2本合わせて、今を生きているお客様に強く訴えるテキストになるよう心がけました」
TPT時代から海外の演出家と数多く仕事を共にし、「戯曲の読み方を毎回一から勉強させてもらっている」という広田さん。演出家との対話を心がけることはもちろん、出来るだけ稽古場に足を運ぶことも大切にしています。
「一見いい感じの翻訳でも、瞬間瞬間に起きるべきことが起こせない台詞なら、表現を変えないといけない。僕は芝居作りを共にする方々にすごく恵まれてますが、みなさんと同じくらい、あるいはそれ以上に本を読めているか、常に試されているつもりでいます。チームワークの中でベストなチョイスを探ることが翻訳者にとっても大事だと思います」
では、多彩な人との関わりを翻訳にフィードバックしている広田さんにとって、翻訳という仕事の醍醐味はどんなところにあるのでしょうか。
「一人で訳しているうちに何か掴んで“ゾーン”に入ってしまう時は幸せかもしれません。稽古中に作品自体がゾーンに入るというか、お芝居が一個の生命体になって空間全体を暴れ回っているように見える時があります。それが一番楽しい時ですね」

演出家ジョナサン・マンビィ(左)とは『るつぼ』(16年/アーサー・ミラー作)、『民衆の敵』でも仕事を共にしている

文:市川安紀

〈公演情報〉

Bunkamura Production 2024
DISCOVER WORLD THEATRE vol.14
『A Number―数』『What If If Only―もしも もしせめて』

公演日:2024/9/10(火)~9/29(日)
会場:世田谷パブリックシアター

「Behind Bunka」では、文化芸術を支える“裏方の役割”にスポットライトを当て、ご紹介しています。ぜひご覧ください。