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【2001年のBunkamura】名門フェニーチェ歌劇場やブロードウェイの人気ミュージカルが続々来日

「Bunkamura History」では、1989年にBunkamuraが誕生してから現在までの歴史を通じて、Bunkamuraが文化芸術の発展にどんな役割を果たしたか、また様々な公演によってどのような文化を発信したのか振り返ります。第16
回では2001年に各施設で行った公演や展覧会を紹介します。


■オーチャードホール①:ヴェルディの初演劇場が来日公演!「フェニーチェ歌劇場 日本公演2001 ─『椿姫』『シモン・ボッカネグラ』」

1792年にイタリア・ヴェネツィアに誕生し、ヴェルディの傑作5本を初演するなど、ヨーロッパを代表する歌劇場の一つに数えられるフェニーチェ歌劇場。1996年の火災で貴重な建物が全焼し、フェニーチェ(不死鳥)の名前通り再建を目指している中、2001年6月に初来日しオーチャードホールで公演を開催しました。
本公演は、2001年にヴェルディが没後100年を迎えたことにちなみ、彼がフェニーチェ歌劇場のために書いて初演した『椿姫』『シモン・ボッカネグラ』を上演。『椿姫』では新進ソプラノ歌手のディミトラ・テオドッシュウが主人公ヴィオレッタに扮し、力強さと透明感を併せ持った歌声で観客を魅了。アルフレード役の若きテノール歌手ホセ・フェレーロ、ジェルモン役のバリトン歌手アンブロージョ・マエストリと共に、登場人物たちの心のひだを情感豊かに歌い上げました。一方、新プロダクションとなる『シモン・ボッカネグラ』は、現代演劇から出発した奇才エリオ・デ・カピターニを演出に迎えるなど、常に新進気鋭のアーティストを発掘するフェニーチェ歌劇場らしい意欲作。まさに“初演劇場”の伝統と誇りを込めた公演となりました。なお、劇場再建を果たした2004年の翌年と2015年にもオーチャードホールで来日公演を行い、喝采を集めました。

ヴェルディがフェニーチェ歌劇場のために書いた『椿姫』と、2001年に新プロダクションが披露された『シモン・ボッカネグラ』という、まさに“伝統”と“今”を象徴するプログラムを上演。新星ソプラノ歌手ディミトラ・テオドッシュウを筆頭に、常に新進気鋭のアーティストを発掘するフェニーチェ歌劇場らしいキャスティングも観客を魅了しました。

■オーチャードホール②:サマーシーズンのミュージカル第1弾『ブロードウェイミュージカル FOSSE フォッシー』を上演

ブロードウェイをはじめ本場の興奮と感動を日本にいながら体験できるよう、Bunkamuraではこれまで幾度となく海外ミュージカルの来日公演を開催しています。2001年8月にはオーチャードホールを会場に、当時ニューヨークで大ヒットロングラン中だった人気作『FOSSE フォッシー』を上演しました。
本作は、伝説の振付師ボブ・フォッシーがミュージカル、映画、テレビ番組で手がけた作品から名ナンバーばかりを集めて再構成した、まさに彼のベスト版と言えるダンスレビュー。フォッシーの魅力を余すところなく体感できるよう、愛弟子アン・ラインキングが共同演出と振付を担当。“フォッシー・スタイル”と呼ばれる独特のユニークかつセクシーな振付を完全に再現し、「I Wanna Be a Dancin' Man」「Big Spender」「Sing,Sing,Sing」など時代を超越したミュージカルナンバーの数々で観客を魅了しました。

トニー賞でベストミュージカル賞など3部門に輝き、ニューヨークでロングランヒットを記録した『FOSSE フォッシー』。その魅力は何と言っても、フォッシーの名ナンバーばかりを集めた作品であること。キュッと突き出したお尻、内向きの膝、あごを引いてハットのつばをつまむ仕草でおなじみの“フォッシー・スタイル”を多彩なシーンで堪能できる贅沢なひと時に、オーチャードホールでは拍手喝采が巻き起こりました。

●シアターコクーン:世界の勅使川原三郎が21世紀のダンスシーンに向けて発信した新作『Luminous ルミナス』を上演

日本とヨーロッパを中心に縦横無尽に活躍し、その創作と自らによる表現で国際的な評価を受けてきた舞踊家・振付家・演出家の勅使川原三郎が、自ら率いるカンパニーKARASと共にシアターコクーンに初登場。21世紀のダンスシーンの幕開けを飾る新作として、2001年3月に『Luminous ルミナス』を上演しました。
本作は4つのパートで構成され、前年にヨーロッパで絶賛された『Light Behind Light』を凝縮・発展させたパートや、勅使川原の教育プロジェクトから育ったスチュアート・ジャクソンとのデュオのパートが含まれ、さらに作品名通り“光”を重要な演出として使用。構成・振付・美術・照明・出演の5役をこなした勅使川原は、「光とは何か」という探究への答えを独特のアプローチで体現し、第1回(2001年)朝日舞台芸術賞舞台芸術賞を受賞しました。

創作にあたって常に冒険と挑戦を続ける勅使川原三郎がシアターコクーン初登場を果たした『Luminous ルミナス』。構成・振付・美術・照明・出演を務めた勅使川原は、自ら実施した教育プロジェクトから育った盲目のダンサー、スチュアート・ジャクソンや自身のカンパニーであるKARASと競演し、光に対する鋭い感性を流れるようなダンスで体現しました。

▼ザ・ミュージアム:江戸時代を代表する禅僧の優れた遺墨を紹介する『没後170年記念展「良寛さん」』を開催

ザ・ミュージアムでは海外の作家の個展や著名な美術館の名品展だけでなく、優れた日本芸術をテーマにした企画展も何度か行ってきました。その1つが、2001年1月から開催した『没後170年記念展「良寛さん」』です。
良寛とは、深い信仰心と豊かな見識を持ちながら、寺を持つことなく生涯修行を貫いた、江戸時代の高名な禅僧。法も説かず講釈もすることなく人々を感化した良寛は、親しみを込めて「良寛さん」と呼ばれ、現在まで衰えることなく人気を集めています。また、優れた詩人・歌人・書家としても知られていて、没後170年の節目に開催した本展では、晩年の代表的な楷書作品でありながら門外不出とされていた「貼りまぜ屏風」をはじめ、約120点の遺墨(生前に書いた書)を手紙・漢字・仮名などのジャンルに分けて紹介。芸術や思想、生き方、さらに崇高な精神が息づいた遺墨を通じて、良寛が人々を引き付ける秘密に迫る展覧会となりました。

生涯修行を貫いた高名な禅僧である良寛の、優れた詩人・歌人・書家としての一面にスポットライトを当てた『没後170年記念展「良寛さん」』。本展の大きな見どころとなったのが、門外不出とされていた遺墨「貼りまぜ屏風」。良寛を支えた新潟の旧家であり御三家ともいわれる所蔵家から出品されたもので、良寛の芸術・思想・生き方・崇高な精神を感じさせるとともに、庇護者をはじめとした良寛の交友関係も浮き彫りにしました。

◆ル・シネマ:香港の映像派ウォン・カーウァイ監督の傑作ラブストーリー『花様年華』を上映

一貫した美意識が感じられる映像センス、ロマンティックな台詞、そして独特の浮遊感で観る者を虜にするウォン・カーウァイ監督。1994年作の『恋する惑星』で世界中から絶賛され、日本でもミニシアターブームを牽引した名匠の待望の最新作『花様年華』を、2001年3月からル・シネマで上映しました。
それまでのカーウァイ作品でも特徴的な、スタイリッシュな映像はそのままに、カメラは過剰に動き回ることなく対象を静かに見つめ、男女のひそかな関係の情感を匂い立たせます。
内省的な男を演じたトニー・レオンの静かな魅力と、チャイナドレスに身を包んだマギー・チャンのつややかな眼差し——ため息が出るような美しさを醸す彼らの存在感にもまた、数多の観客が魅了されました。

『欲望の翼』『2046』と並びウォン・カーウァイ監督の「60年代三部作」と称される『花様年華』。舞台となる1960年代香港の空気をカーウァイらしい艶やかな映像によって閉じ込め、大人のロマンスを官能的に彩った名作です。ル・シネマで公開するやカーウァイ監督に心酔するファンが多く詰めかけ、その後も幾度となくアンコール上映を行いました。

◎様々なジャンルの日本伝統文化を発信する「セルリアンタワー能楽堂」が開業

2001年5月22日、故・五島昇の「渋谷の再開発とその渋谷を文化の中心に」という構想の下、東急電鉄の旧本社跡地に建てられたセルリアンタワーの地下2階に、世界に向けた伝統文化の発信機能を担う施設が誕生しました。それがセルリアンタワー能楽堂です。
本格的な能舞台と和風モダンにデザインされた客席を備えるセルリアンタワー能楽堂では、能の五流儀による主催公演を中心に、日本舞踊・邦楽演奏・落語などさまざまなジャンルの伝統芸能を発信。また、客席の椅子を取り外して座席設置を自由に組み合わせられるという特性を生かし、演劇やコンサート、さらに将棋の「竜王戦」第1局の会場まで幅広く活用。新しい形の能楽堂として注目を集めていきました。

渋谷のランドマークであるセルリアンタワーの地下2階に開設されたセルリアンタワー能楽堂。2011年12月から東急文化村が運営を受託し、能の五流儀による主催公演のほかにも、ジャンルにこだわらずさまざまな伝統芸能の公演をお届けしてきました。
セルリアンタワーのグランドオープンに合わせて、『舞台披き祝賀能』を開催。シテ方五流である観世・宝生・金春・金剛・喜多すべての宗家が一同に会する特別公演を披露しました。
セルリアンタワー能楽堂開業の2001年にスタートし、毎年恒例の人気公演となった『萬斎 イン セルリアンタワー』。野村萬斎が作品解説などを行うトークで幕を開け、その後の狂言にも自ら出演するというおなじみの構成は第1回からのものです。

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