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Bunkamura History Vol.1 ~1989年(開業前)

「Bunkamura History」では、Bunkamuraが誕生してから現在までの歴史を通じて、Bunkamuraが文化芸術の発展にどんな役割を果たしたか、また様々な公演によってどのような文化を発信してきたのか振り返ります。第1回は、Bunkamuraが1989年に開業するまでの知られざるエピソードに迫ります。


すべては「文化村構想」から始まった

東京・渋谷にBunkamuraが開業したのは、バブル経済真っ盛りの1989年9月3日。コンサートホール、劇場、美術館、映画館、ギャラリーなど様々な文化施設が一緒に収まった大型複合文化施設は日本では初めてで、しかも渋谷という都内でも屈指の繁華エリアに建てられたという面でも、当時多くの人々の関心を集めました。

Bunkamura完成イメージ図

Bunkamura誕生の原点となったのは、東急百貨店が中心に取りまとめて1984年に発表した「渋谷計画 1985」という再開発計画でした。その中に含まれていたのが「カルチャー・ヴァレー計画」と「文化村構想」で、SHIBUYA109から東急百貨店本店までの周辺に様々なカルチャー関係の施設を集め、本店脇にプレ文化村を建設するというもの。具体的には、本店裏の屋外駐車場の上に人工的な基盤を設け、その上にホール・美術館・ケーブルテレビセンター・貸しスタジオなどの複合施設を作るという概要でした。しかし、舞台美術家の妹尾河童に意見を求めたところプランの中途半端さを指摘され、文化の基本である「描く・歌う・踊る」、つまり「美術・音楽・舞踏(演劇)」の要素をすべて踏まえた施設へと構想を練り直したのです。

文化の担い手たちを大事にした、新しい文化施設作り

設計プラン時のジオラマを上から。上が松濤側。

文化村構想を具体化し施設の基本プランを作っていく中で、方向性の大きな柱となったのが「文化の発信者・作り手・アーティストたちを大事にしたい」という思いです。そこで、各施設と関係するジャンルの専門家たちに協力を依頼し、プロデューサーズ・オフィスとして組織しました。オーチャードホールでは岩城宏之(指揮者)、前田憲男(編曲家)、冨田勲(サウンド・パフォーマー)、佐藤信(演出家)。シアターコクーンでは串田和美(演出家)、金子洋明(プロデューサー)。ザ・ミュージアムでは木島俊介(美術評論家)、阿部信雄(美術評論家)。いずれも各界を代表する方たちが、準備段階から関わりました。
さらに劇場技術の専門的なアドバイザー・グループも組織し、ハード(建物)ありきで設計するのではなく、ソフト(活動する作り手)を優先した文化施設作りがスタートしました。
専門家たちからは、それまでの経験を生かした自由な発想が次々と上がりました。例えば、シアターコクーンの劇場搬入口を舞台奥の正面にして、その向こうにある渋谷の街が見えるようにしたり、車両が劇場内へ乗り込めるようにするという構造は、シアターコクーン初代芸術監督でもある串田のアイデア。こうした発想をアドバイザー・グループの一員だった建築家の斎藤義が具体的な設計に落とし込み、それまでにない画期的な文化施設が形になっていったのです。
また、この基本プラン作りにおいて、その後のBunkamuraのあり方を決めるビジョンも定まりました。オーチャードホールの構造を考えるために世界各地のコンサートホールを調べる中で、「コンサートホールをコンサートホールたらしめているのは、そこに常駐し演奏会を行うオーケストラの存在」という気づきを得たのです。この考えは、開業にあたって各ホールにフランチャイズ制が導入されたことでより明確なものとなりました。

Bunkamura建設前の空撮写真。当時は東急百貨店本店の駐車場だった。

構造の工夫で数々の制約をクリア

そうやって具体化した施設のプランをいざ設計へと落とし込んでいくにあたって、様々な課題やハードルが浮かび上がりました。その中でも特に困難を強いられたのが、土地の形状です。駐車場として利用されていた東急百貨店本店の周りの土地を使ったため、建設地が鍵形という特殊な形状になってしまい、限られた空間に多くの文化施設を入れるべく様々な工夫が行われました。例えばオーチャードホールは、配置を少し回転させることによって、約2000の客席数とコンサートホールの空間を確保。また、施設の周囲が松濤地区の閑静な住宅街であることから日照権についても配慮する必要があり、屋上には傾斜がつけられました。

Bunkamura建設風景。

そして1986年6月から本工事がスタートし、1988年1月に上棟式が行われてからは内装工事へ移行。その一方、東京フィルハーモニー交響楽団とオーチャードホール、オンシアター自由劇場(1996年まで)とシアターコクーンのフランチャイズ契約をそれぞれ締結。さらに施設名をアルファベットの「Bunkamura」に正式に決定するなど、開業に向けて着々と準備が進んでいったのです。

Bunkamuraの歴史をたどる「Bunkamura History」の続きはこちらからご覧ください。


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