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ヨハン・シュトラウスは一人ではない?生涯をワルツに捧げた父I世と息子II世(踊るクラシック!ここから始める舞曲入門③)

オーチャードホールと横浜みなとみらいホールの2拠点からの“東横シリーズ”として、2024年11月にスタートする『N響オーチャード定期2024/2025』。新シリーズは<Dance Dance!>をテーマに、舞曲を中心に心躍る名曲の数々を演奏します。「Bunka Essay」ではこの新シリーズをより楽しむためのポイントを、全5回に分けて掘り下げていきます。第3回では、ウィーンの新年の風物詩「ニューイヤー・コンサート」などで今も親しまれ、N響オーチャード定期第131回のテーマでもあるワルツをクローズアップ。ウィンナ・ワルツという新たな音楽ジャンルを確立し、ワルツの魅力を“踊る”だけでなく“聴く”へと広げていったヨハン・シュトラウス親子の功績を紹介します。


ウィンナ・ワルツという新たな音楽ジャンルを確立した父シュトラウスI世

クラシックにおける舞曲とは「舞踏の形式をふまえた楽曲」、つまり踊りの伴奏のために作られたものではない楽曲を指すことが一般的です。そんな中、聴衆たちが軽快なメロディに合わせて踊るための音楽として誕生・発展した舞曲もありました。それがワルツです。
ワルツとはオーストリアの農民舞曲レントラーから派生した3拍子の優雅な踊り。男女がペアになってクルクルと回転しながらステップを踏む華やかなダンスは、18世紀後半からウィーンの貴族や庶民の間でたちまち大流行しました。しかし、初期のワルツ音楽はわずか16小節で1パートを構成する小規模かつシンプルなもので、舞踏会ではこうした小さな曲を楽団が繰り返し演奏していました。いわばワルツ音楽はあくまで“伴奏曲”という位置づけで、主役は踊りでした。
そんなワルツを音楽的に進化させたのがヨハン・シュトラウスI世です。楽団に所属していた彼は仲間のヨーゼフ・ランナーと共に、ウェーバーが1819年に完成させたピアノ曲『舞踏への勧誘』を手本に、序奏から5つの小ワルツを組み合わせて最後にコーダ(終結部)で締めくくるという「ウィンナ・ワルツ」の音楽形式を確立。やがてシュトラウスI世は独立して新たな楽団を立ち上げ、自ら作曲も行うようになりました。そして、今では「ニューイヤー・コンサート」のラストを飾る曲として有名な『ラデツキー行進曲』などの名曲とともにウィンナ・ワルツを開花させ、後に“ワルツの父”と呼ばれたのです。

左)ヨハン・シュトラウスI世 右)ヨーゼフ・ランナー

1819年に楽団に入ったヨハン・シュトラウスI世は、3歳年上の楽団員ヨーゼフ・ランナーと親しくなり、2人でウィンナ・ワルツの基礎を築きました。しかし、1825年にシュトラウスI世が独立して自らの楽団を結成すると、2人はたちまちライバル関係に。互いに競い合うように新作を次々と発表し、ウィンナ・ワルツをいっそう磨き上げていきました。一方、ウィーンっ子たちはこの「ワルツ合戦」を歓迎し、素晴らしい舞曲の虜になっていたそうです。
チャールズ・ウィルダ《舞踏会》 1906年
右上の中央でヴァイオリンを演奏しているのがランナー、その2つ左の奏者がヨハン

“踊るワルツ”から“聴くワルツ”へと発展させた息子シュトラウスII世

このように舞踏音楽に革命をもたらしたシュトラウスI世ですが、45歳と若くして亡くなってしまいます。そんな父に代わってワルツの名曲を次々と生み出したのが、息子のヨハン・シュトラウスII世。作品番号が振られているだけでも479ものオリジナル曲を手がけていて、現代の演奏会で取り上げられるワルツの多くが彼の作品と言っても過言ではありません。
シュトラウスI世は息子が自分のように音楽家になることを望んでいませんでしたが、内緒で音楽を学んだシュトラウスII世は最終的に親の反対を押し切り、父と同じく“ヴァイオリンを演奏しながら楽団を指揮する”というスタイルで音楽活動をスタート。弱冠6歳でワルツを作曲するほどの楽才に恵まれた彼は、ワルツのほかにもボヘミアの民俗舞曲ポルカの管弦楽曲を作り、『美しく青きドナウ』『皇帝円舞曲』『ウィーンの森の物語』『雷鳴と稲妻』、さらにN響オーチャード定期第131回の演目でもある『ウィーンかたぎ』など数々の名曲を発表。そのシンフォニックかつ美しい旋律によって“コンサートで聴くワルツ”としての魅力を高め、父をしのぐ熱狂的な支持を集めて“ワルツ王”の称号を授かったのです。
またシュトラウスII世は晩年にオペレッタの分野でも活躍しました。なかでも『こうもり』『ジプシー男爵』は現在でも人気の高い演目。コンサートで序曲だけ演奏されることも多く、N響オーチャード定期第131回でも演目にラインナップされています。

ヨハン・シュトラウスII世(1867年)

父の反対を押し切って音楽を学んだヨハン・シュトラウスII世は、弱冠19歳で自ら楽団を立ち上げると、たちまち父と人気を二分する存在となりました。1849年に父が亡くなった後は、地元のウィーンのみならずロシアやアメリカなど世界各地で演奏を披露し、ウィンナ・ワルツの発展に力を注いだのです。

華麗なる音楽一家の隠れた名作曲家にも注目!

ワルツの作曲家シュトラウスといえばI世とII世が有名ですが、実はI世には長男のII世を含めて4人の息子がいて、生後間もなく亡くなった三男を除いて次男ヨーゼフと四男エドゥアルトも作曲家の道へ進んでいます。なかでも次男ヨーゼフは人気こそ兄のII世に奪われがちでしたが、詩情あふれる作風から“ワルツのシューベルト”と呼ばれ、約300もの曲を残しました。N響オーチャード定期第131回でも彼が手がけたワルツ『うわごと』とポルカ・マズルカ『とんぼ』を演奏しますので、“ワルツ王”のII世に優るとも劣らない、美しく深みのあるメロディをぜひお楽しみください。

左から)末弟エドゥアルト、長男ヨハンII世、次男ヨーゼフ

シュトラウス一家がクラシックの新しい音楽ジャンルとして確立し、“踊るため”だけでなく“聴くため”の舞曲へと芸術的に発展させていったワルツ。その優雅で華やかなメロディに心地よく浸りながら、舞踏会文化が花開いた時代にうっとり思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

文:上村真徹

〈公演情報〉
N響オーチャード定期2024/2025
東横シリーズ 渋谷⇔横浜
<Dance Dance!>

第130回 2024/11/3(日・祝)15:30開演 会場:横浜みなとみらいホール
第131回 2025/1/11(土)15:30開演 会場:横浜みなとみらいホール
第132回 2025/4/20(日)15:30開演 会場:Bunkamuraオーチャードホール
第133回 2025/7/6(日)15:30開演 会場:Bunkamuraオーチャードホール

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