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Bunkamura History Vol.4 1991年

「Bunkamura History」では、1989年にBunkamuraが誕生してから現在までの歴史を通じて、Bunkamuraが文化芸術の発展にどんな役割を果たしたか、また様々な公演によってどのような文化が発信されたのか振り返ります。今回は、1991年に各施設で行われた公演や展覧会を紹介します。


■オーチャードホール:ニューヨークの人気音楽祭「モーストリーモーツァルトフェスティバル」が来日

1989年のバイロイト音楽祭引っ越し公演をきっかけに海外と強いつながりを結んだBunkamura。1990年には世界最大規模の総合芸術施設であるニューヨークのリンカーン・センターとの提携をスタート(~1999年)し、モーツァルトの没後200年にあたる1991年8月、同館で毎年夏に約1ヵ月間行われている音楽祭「モーストリーモーツァルトフェスティバル」をオーチャードホールでも約1週間にわたって開催しました。
この音楽祭の大きな特徴は、ソリストの顔ぶれの豪華さにあります。ニューヨークで公演が行われた後、一流の演奏家たちがオーケストラと音楽監督である指揮者ジェラード・シュワルツと来日。その中には、当時初来日だった世界的メゾソプラノ歌手チェチーリア・バルトリもいて、名曲揃いのプログラムでオーチャードホールの舞台を賑わせました。カジュアルな雰囲気でモーツァルトを楽しめる企画として好評を博し、1999年まで毎年の夏の風物詩として開催を続けました。
また、1989年12月に「Bunkamuraオペラ劇場」で披露された日中合作オペラ『魔笛(まほうのふえ)』の北京公演が1991年5月に実現。Bunkamura初の海外公演として成功を収め、同年11月にはオーチャードホールで凱旋公演を行いました。

©林喜代種 『モーストリーモーツァルトフェスティバル1991』で初来日を果たしたチェチーリア・バルトリ(左後ろは指揮者のジェラード・シュワルツ)。予定されていた歌手の代役として急遽来日しましたが、モーツァルトのオペラでキャリアを積み上げた彼女ならではの見事なアリアを披露しました。

●シアターコクーン:“音楽劇創造の場”で奏でられたミニマル・ミュージック

「音楽はより演劇的に、演劇はより音楽的に」というコンセプトのもと作られたシアターコクーンでは、開館当初から音楽要素の強い公演がたびたび話題を集めてきました。1991年には、現代音楽『スティーブ・ライヒと音楽家たち-ミニマル・ミュージックの世界-』を開催。ミニマル・ミュージックの第一人者であるライヒが自身のアンサンブルを伴って初来日し、オーチャードホールとは異なるコンパクトなサイズの演奏会で観客を魅了しました。その後ライヒは1997年にも実験的な映像作品『ミュージック・ヴィデオ・シアター THE CAVE~ザ・ケイヴ 5つのスクリーン、4人の歌手、13人のアンサンブル、3つの視点、1つの古い物語』をシアターコクーンで公演し、チケットが連日完売になる大反響を集めました。

最小限のフレーズを一定のリズムやパルスで繰り返し演奏するミニマル・ミュージック。その先駆者として知られるスティーブ・ライヒが、自身のアンサンブル「スティーヴ・ライヒ・アンド・ミュージシャンズ」と共に初来日。音はシンプルでありながら構造が複雑という不思議な音響に聴衆は酔いしれました。(画像は1997年の『THE CAVE~ザ・ケイヴ』より)

▼ザ・ミュージアム:初の写真展『我らの時代 マグナム写真展』を開催

1991年6月、ザ・ミュージアムで初めての写真展として『我らの時代 マグナム写真展』を開催しました。マグナムとは、ロバート・キャパ、アンリ・カルティエ=ブレッソン、デヴィッド・シーモア、ジョージ・ロジャーの著名写真家4人が1947年に設立した写真エージェンシー。フリーで活躍する世界の写真家たちの権利を確保し、自由な写真活動を支えるために作られたものです。写真展ではマグナムに所属する写真家約60名のこれまでの作品がまとめられ、写真ならではの説得力が伝わる“20世紀のフォト・ドキュメント”と呼ぶにふさわしい展覧会となりました。

本展は写真発明150年という節目の1989年に、これまでのマグナムの仕事をまとめ、世界各国で展覧会を行おうと企画されたもの。マグナムに所属する写真家たちの目を通して、世界で起きた出来事の歴史的真実が凝縮された作品を展示。写真が時代の語り部であることを証明する写真展となりました。

◆ル・シネマ:ポーランドの名匠クシシュトフ・キェシロフスキ監督をいち早く日本に紹介

ル・シネマでは個性的な話題作を発掘すると同時に、それまで日本では馴染みのない映画作家も積極的に紹介してきました。その一人が、フランス映画『トリコロール』3部作で一躍時代を代表する名匠となったポーランド出身の監督クシシュトフ・キェシロフスキです。ル・シネマでは、1991年10月に上映した『愛に関する短いフィルム』が初紹介となりました。
本作は、十戒をモチーフにしたTVシリーズの一編を長編映画として再構成したもので、向かいのアパートに住む年上女性を覗き見する孤独な少年を通じて、“見つめる”という愛の形を繊細かつ大胆な演出で描いた究極のラブストーリーです。この上映をきっかけに日本でキェシロフスキ監督への注目が高まり、ル・シネマではその後も『ふたりのベロニカ』や『トリコロール』3部作を紹介。フランスをはじめとするヨーロッパ映画の名作を上映するミニシアターというイメージをますます確立しました。

クシシュトフ・キェシロフスキ監督の初期の代表作『愛に関する短いフィルム』。孤独な少年と年上女性がそれぞれ交わす愛の形を、“見つめる”という行為を通じて描いた傑作です。シンプルな物語の中に生まれる人々の感情の揺らぎを繊細にとらえた映像は、キェシロフスキ作品ならではの魅力です。

◎先進性と独創性のある、新しい文学の可能性を探る「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」創設

1884年に創業したパリで最も有名な老舗カフェ「ドゥ マゴ」の海外初業務提携店として、Bunkamuraの開業と同時にカフェレストラン「ドゥ マゴ パリ」が誕生しました。「ドゥ マゴ」はランボー、ピカソ、ヘミングウェイなど多くのアーティストが集ったカフェで、将来を担う若い作家に自分たちの手で賞をあげようと常連客たちが「ドゥマゴ賞」を創設したことでも知られています。そしてBunkamuraでもその精神を受け継ぐべく、1990年に「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」を創設しました。
この賞は本家のドゥマゴ賞と同じく「権威主義に陥らず、既成の概念にとらわれない」ことを理念としたもので、新しい才能の発掘を目指し、毎年交代する一人の選考委員が受賞作を選ぶというユニークなスタイルが特徴的。1991年の第1回では文芸評論家・映画評論家の蓮實重彦が選考委員を務め、「トリュフォー —ある映画的人生—」(山田宏一・著)が受賞作に選ばれました。
映画監督フランソワ・トリュフォーの友人でもある著者が、不良少年トリュフォーがいかにして映画を撮るようになったかを、一篇の映画のように綴った評伝です。選考委員の蓮實は「決定的な作品に出会ったことを興奮とともに直感しました」と語りました。

Bunkamuraドゥマゴ文学賞 第1回受賞作
山田 宏一 著『トリュフォー―ある映画的人生』(1991年7月 平凡社刊)
選考委員:蓮實重彦

Bunkamuraの歴史をたどる「Bunkamura History」の続きはこちらからご覧ください。


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