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“恋する作曲家”ブラームスのロマンティシズム

2023年10月からスタートした『N響オーチャード定期』シリーズのテーマは<ブラームス・チクルス>。国内外の巨匠がタクトを振り、ブラームスの全4交響曲や「ハンガリー舞曲」などの名曲を演奏します。「Bunka Essay」ではチクルスをより楽しむことができるよう、作曲家ブラームスの特徴や魅力を全5回に分けて紐解いていきます。最終回の第5回は、ブラームスの楽曲に大きな影響を与えた、秘められた恋愛エピソードを紹介します。


実らぬ恋に生涯胸を焦がしたブラームス

ブラームスが作った楽曲は、モーツァルトのような天真爛漫な楽曲とは対照的に陰影が豊かで、そこはかとなく憂いも漂っています。こうした音楽性は、前回のコラムで触れたようにブラームスの人生経験が密接に関係していたのですが、そこには彼が経験した恋愛エピソードも大きく影響しているのです。
独身のまま生涯を終えたブラームスには、長年想いを抱き続けた女性がいました。彼の才能を見出した恩人シューマンの妻クララです。20歳の頃、シューマンの元に出向いて自作のピアノ曲を披露したブラームスは、それからも足しげく通ううちに14歳年上のクララへの想いを募らせていったのです。ブラームスはその好意を何度も手紙に記し、クララも案外まんざらではなかったそうですが、結局クララが理性を重んじたため二人の愛は成就しませんでした。こうした報われない想いに胸を焦がしていくうちに、ブラームスの音楽には情熱と諦念が入り混じった独特のロマンティシズムが形作られたのでしょう。

左)1853年、20歳のブラームス 右)1853年頃のクララ・ジョゼフィーヌ・シューマン

クララへの恋心が芽生えたブラームスは頻繁に手紙を送り、文面での呼び方も最初は「親愛なる人」だったのが「私のクララ」と情熱的なものへと変化。また、「私はもう君なしには生きていられない」と自らの思いをストレートに書き記しています。一方、クララの日記でもブラームスからの求愛に肯定的な表現が見られます。しかし、出会って数年後にシューマンがこの世を去ってからも二人が夫婦として結ばれることはありませんでした。

名曲の数々に込められたクララへの愛情

そんなブラームスの想いは、作曲家個人の感情や感性を自由に表現するというロマン主義的な手法として、彼の楽曲に幾度も投影されています。有名なものだと、交響曲第1番の第4楽章。ある時ブラームスは旅先からクララの誕生日を祝う手紙を送り、その手紙に短いメロディも添えたのですが、これとよく似たメロディが第4楽章の序奏の終盤でホルンによって奏でられているのです。また、深く陰影に富んだメロディが印象的な弦楽六重奏曲第1番の第2楽章を気に入っていたブラームスは、世界的ピアニストだったクララのためにピアノ独奏用に編曲し、誕生日にプレゼントしています。
クララへの愛が実ることはありませんでしたが、1854年にシューマンが自殺を図ってその2年後に亡くなってからは、子だくさんだったクララを献身的に支え、家族ぐるみで交流を深めていきました。彼女の息子フェリックスが25歳という若さで亡くなった時は、当時作曲していたヴァイオリンソナタ第1番の第2楽章に葬送行進曲を挿入していて、ブラームスがいかにクララとその家族を大切に思っていたかが分かります。ちなみに同曲は、ブラームスがクララの誕生日にプレゼントした歌曲「雨の歌」がモチーフになっています。

左)フェリックス・シューマン 右)フェリックス・シューマンの詩「私の愛は緑のライラックの茂みのようなもの」の原稿

クララへの愛情を心に秘めながらシューマン一家と交流を深めたブラームス。シューマンが精神を患って入院してからは献身的にサポートし、金銭的な援助のみならず、不安や苦しみに押しつぶされそうになったクララに付き添って励ましたそうです。また、名付け親となった末っ子フェリックスを我が子のようにかわいがり、彼が作った詩に曲を付けてクリスマスプレゼントとして贈りました(この曲は『わが恋は緑』と呼ばれています)。

ブラームスは恋多き男性だった?

このようにクララのことを一途に愛する一方で、報われぬ想いが辛かったのか、実はブラームスは恋多き人生を送っていたのです。なかでも、大学教授の令嬢アガーテ・フォン・ジーボルトとは婚約を結ぶまでに至りました。彼女との交際時期に作曲した弦楽六重奏曲第2番には、音楽の棋譜法で「A-G-A-D-E(アガーテ)」となる音型があり、熱烈な恋心が表現されています。まさにロマン派の作曲家ブラームスの面目躍如ですね。また、映画『さよならをもう一度』に引用された第3楽章の美しいメロディが有名な交響曲第3番も、20歳以上年下のアルト歌手ヘルミーネ・シュピースへの恋愛感情が曲に影響を与えたと言われています。
そんな情熱的な恋の数々も、クララへの想いを断ち切れなかったのかいずれも長続きせず、アガーテとの婚約も解消となりました。結局ブラームスは“よき友人”という距離感でクララに寄り添う道を選択。1896年にクララが亡くなると、その1年後、後を追うかのようにこの世を去ったのです。

1896年5月クララ・シューマンの葬儀後 左から2番目がブラームス。

クララの訃報を受け取ったブラームスはウィーンから葬儀に駆けつけようとしましたが、あわてて間違った汽車に乗ってしまい、葬儀に立ち会えませんでした。最愛の女性の死後、ブラームスの体調は急速に悪化し、友人たちによるとみるみる老け込んだように感じられたそうです。そして1897年に肝臓がんでこの世を去りました。

クララとの“つかず離れず”と言える関係を、彼女が命を閉じる瞬間まで続けて純愛を貫いた一方、実は意外と恋多き男性でもあったブラームス。そんな彼の恋愛遍歴に思いを馳せると、名曲の調べがいっそう情感深く、また人間味豊かに響いてくることでしょう。

文:上村真徹


〈公演情報〉
N響オーチャード定期2023/2024
東横シリーズ 渋谷⇔横浜
<ブラームス・チクルス>
Supported by IHI

第125回 2023/10/28(土)15:30開演 会場:横浜みなとみらいホール
第126回 2024/1/8(月・祝)15:30開演 会場:Bunkamuraオーチャードホール
第127回 2024/3/2(土)15:30開演 会場:横浜みなとみらいホール
第128回 2024/4/29(月・祝)15:30開演 会場:Bunkamuraオーチャードホール
第129回 2024/7/6(土)15:30開演 会場:横浜みなとみらいホール

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