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ロシア・ピアニズムに魅せられて/奥井紫麻さんインタビュー

“文化の継承者”として次世代を担う気鋭のアーティストたちが登場し、それぞれの文化芸術に掛ける情熱や未来について語る「Bunka Baton」。今回は、8歳でオーケストラと初共演し、12歳でロシアに留学、世界各地で演奏活動を繰り広げているピアニスト、奥井紫麻さんをクローズアップします。


ロシア人の先生による厳しくも愛のあるレッスン

幼少時代から誰もが驚くような才能を発揮していた奥井さんですが、ピアノをはじめたのは5歳半のとき。きっかけは、ピアノよりも早くはじめていたバレエでした。

「3歳からバレエを習っていたのですが、やはりバレエは音楽と一緒に踊るものですので、音楽がわかっていた方がいいという母の考えでピアノをはじめました。そのうちに、譜読みして新しい曲が弾けるようになるのが楽しくて、バレエよりもピアノに集中するようになって」

ピアニストに憧れを抱くようになったのは7歳のとき。モスクワまでチャイコフスキー国際コンクールのファイナルを聴きに行った経験が大きな影響を与えたといいます。

「そのときのピアノ部門の優勝者、ダニール・トリフォノフさんの演奏が本当に素晴らしくて、今でも私にとって理想のピアニストであり音楽家です。作品の魅力を最大限に引き出して聴かせてくれるので、どんな作品でも“トリフォノフさんだったらどんなふうに弾くだろう?”と興味をかきたてられます」

ロシアのピアニズムに強く惹きつけられた奥井さんは、同じく7歳から故エレーナ・アシュケナージ氏(ピアニスト・指揮者のウラディーミル・アシュケナージ氏の妹)に師事します。

「エレーナ先生の指導はとても熱心で、年齢が低い子どもに対しても、そのときにできるいちばん上のレベルまで求める方でした。できるようになるまで終わらないので、レッスンが2〜3時間におよぶことも普通にあって。1音1音、フレーズの一つひとつまで本当に細かく教えていただきました。音楽に対してはとても厳しかったですが、音楽を離れるとおばあちゃんのような存在でした」

そして12歳でロシアに渡り、モスクワ音楽院付属中央音楽学校で学ぶ決心をした奥井さん。ロシア音楽やロシア語など、ロシアの文化が大好きだったので、躊躇はなかったと語ります。

「モスクワでは街中のいろいろなところでコンサートやオペラ、バレエ、演劇などをやっていて、芸術がロシアの人たちの日常生活のなかに溶け込んでいます。そういうところがいいなと思いますね。それと、ロシアの人たちの心のあたたかさ、人間らしさ。初対面ではあまり笑顔がなかったりしますが、ちょっと話すと優しい人だとわかったり、何気ないやり取りの一瞬一瞬でそういうことを感じます。規律を重んじる日本人と比べて、ロシア人はとても自由で、コンサートでの客席の反応もすごくストレートです(笑)」

12歳でロシアに留学した奥井さん。化学や生物といった一般科目の授業もすべてロシア語で受けなければならず、最初はとても大変だったとのこと。

音楽を心から歌うことがロシア・ピアニズムの真髄

10月13日には『Bunkamuraオフィシャルサプライヤースペシャル 未来の巨匠コンサート2024』に出演し、大友直人指揮 東京フィルハーモニー交響楽団とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏します。ロシア音楽を代表するこの名曲の魅力を、奥井さんはどんなところに感じているのでしょう。

「オーチャードホールは13歳の日本デビュー公演で、グリーグのピアノ協奏曲を弾かせていただいた場所。そのときはまだパワーが全然足りなかったのですが、今回ふたたび機会をいただくことができたので、大きなホールいっぱいに豊かに響かせることができる作品がいいなと思って、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を提案させていただきました。この作品は協奏曲でありながら、バレエ音楽のようにさまざまな情景(シーン)やキャラクターを思い浮かべることができる音楽だと思います。それぞれの違いを生き生きと描き分けて弾きたいので、自由に想像を膨らませながらお聴きいただけたら嬉しいです」

練習は大好き。確実にできるようになるまで諦めず努力できるのは、お客さんにベストな状態をお聴かせしたいと思っているから。

パワフルかつ叙情的な歌に満ちたロシア・ピアニズム。その真髄について、奥井さんは次のように語ってくれました。

「音楽を心から歌うことが、ロシア・ピアニズムにおいてもっとも大切なことだと思います。そのためには美しいレガートをかけたり、響きをよく聴くことが必要。とくにチャイコフスキーやラフマニノフの作品は、深く大きなひとつのブレスで構成されるメロディが特徴的ですが、そういったところでの濃厚な歌い口が好きですね。ロシア語のイントネーションとも密接に関わっていますから、ロシア文学などもよく読むようにしています」

これまで師事した先生の言葉で、特に心に残っている言葉は?

「二人めのロシア人の先生であるタチアナ・ゼリクマン先生が、レッスンのときにおっしゃった、“音楽家として演奏するとき、つねに限界というものはない。すごくいい演奏をしたとしても、次はそのさらに上を目指していかなければならない”という言葉です。ピアニストとして大切にしなければならない言葉だなと」

昨年6月にグネーシン特別音楽学校を卒業し、現在はスイスのジュネーヴ高等音楽院にてネルソン・ゲルナー氏に、グネーシン音楽大学にてタチアナ・ゼリクマン氏に師事しています。

「モスクワ音楽院に進学することも考えていましたが、昨今の国際情勢から、5年間安全にロシアで留学生活が送れるか不確定でしたので、ちょうど卒業のタイミングでもあり、一度スイスに出ることにしました。今はジュネーヴに暮らしながら、モスクワや日本にも行き来する日々です。新しい環境で、新しい先生に、新しい弾き方のアドバイスをいただくことができて、とても充実していますね。フランス語やフランス音楽にも興味があるので、これから勉強できることが楽しみです」

ロシア音楽以外にも、弾いていて自然に感じるのはショパンやモーツァルト。まだ勉強したことはないけれど、ラヴェルも大好きだと語ります。

新たなステージで、奥井さんの音楽は今後ますます深められ、広がっていくことでしょう。

文:原典子
写真:大久保惠造

〈プロフィール〉

感性、歌心、技術の全てに恵まれた稀有な存在。2004年5月生まれ。7歳より故エレーナ・アシュケナージに師事。8歳でオーケストラと初共演し、12歳でゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団と共演。10歳よりスピヴァコフと世界各国で共演を重ね、15歳でベルリン・フィルハーモニー、ウィーン・ムジークフェライン、プラハ・スメタナホールを始めとする著名ホールにデビュー。2018年よりグネーシン特別音楽学校でタチアナ・ゼリクマンに師事。2022年11月パデレフスキ国際ピアノ・コンクール入賞。2023年にグネーシン特別音楽学校のピアノ科を特別表彰を受け、首席で卒業。現在ジュネーヴ高等音楽院にてネルソン・ゲルナーに、グネーシン音楽大学にてタチアナ・ゼリクマンに師事。ウラディーミル・スピヴァコフ国際慈善基金奨学生。

Instagram @shiookui

〈公演情報〉
Bunkamura オフィシャルサプライヤースペシャル
未来の巨匠コンサート2024
Discover Future Stars

2024/10/13(日)
Bunkamuraオーチャードホール

「Bunka Baton」では、“文化の継承者”として次世代を担う気鋭のアーティストたちが登場し、それぞれの文化芸術に掛ける情熱や未来について語っていただきます。ぜひご覧ください。